てんびん座
日常性となつかしさ
在りし日の光景
今週のてんびん座は、「夜寒さの買物に行く近所かな」(内田百鬼園)という句のごとし。あるいは、何でもない日常に“何か”が差し込んでくるような星回り。
作者は夏目漱石の弟子の一人で、幻想的な小説や独特の筆致で知られた内田百閒。詠まれたのは1934年でまだ昭和一桁だった頃。
この頃の普段着はみんな和服でしたから、ちょっとした買い物があって近所の店に出かけていくのにも、和服で素足に下駄をつっかけただけの姿だったかも知れません。
煙草なのか薬なのか。いずれにせよ、ほんの近所まで出るだけという意識のゆるみが、胸元や袖口あたりから入る夜風が思いがけず身にしみて、季節の確実な移りゆきが実感されたのでしょう。
「買物」に「近所」という何ということもない都会の日常を軽く詠んだ句ではありますが、だからこそ、そんな日常がいつの間にかすっかり別物に変わってしまっている怖さのようなものが、妙になまなましく伝わってくるように感じられます。
11月1日にてんびん座から数えて「意識の落とし穴」を意味する8番目のおうし座にある天王星の真向かいに太陽が巡り、そこへ否応なく意識が向けられていく今週のあなたもまた、そうと意識せずともおのずからリスクや危機の根の方へと足が延びていきそうです。
助走線としての「なつかしさ」
私たちはある風景にたいして、特別な「なつかしさ」を覚えることが時々ありますが、武蔵野の雑木林が自然主義文学者たちによって再発見されたものであったように、「なつかしさ」というのは自分にとってのアイデンティティーを何か遠く離れたものに重ねていくプロセスの中で生み出され、言葉にすることで強調され、タイムマシンのように装置化されていくという側面があります。
つまり、「なつかしさ」とは等身大の現実世界から脱却していくための助走線であり、それゆえに「なつかしい場所」は普段目に触れている日常世界には存在せず、時おり不意をつくかたちで私たちの前に見え隠れしたり、身体にしみいるのであり、本質的にそれは日常と緊張関係をもつ「対抗空間」なのです。
今週もし、そんな「なつかしい」景観が目の前に現われたなら、意識から消えてしまう前によく目に焼き付けておくこと。
言葉で記したり、写真を撮っておくのもいいでしょう。それらは得てして、未来への予期を孕んでいるはず。
今週のキーワード
脱出の予行練習