てんびん座
道を歩む者として
除道の祓い
今週のてんびん座は、「わたくしは辵(しんにゅう)に首萱野を分け」(澁谷道)という句のごとし。あるいは、私を仕上げていくための一歩を踏み出していくような星回り。
「わたくし」の名前「道」という漢字は、「辵(しんにゅう)」に「首」でできている。わたくしは、切り落とされた血まみれの生首を掲げて、萱(かや)の生えた野を分け入っていくのだ。句の大意としては、そんなところでしょう。
漢字というのは実に不思議なものだが、掲句の場合は見慣れたはずの自分の名前がふとした瞬間に幻視を引き起こし、そこに込められた意味から自画像を作りあげているのだと言えます。
白川静の『字統』で「道」という字を引くと、
「『道』という字は首を携えて道を行く意で、おそらく異族の首を携えて、外に通じる道を進むこと、すなわち除道の行為をいうものであろう」
とありますが、この「除道」とは道を祓い進むことで、古代世界において異族の首が道路を祓うまじないとして非常に強い効力を持っていたことが伺えます。
21日(月)に下弦の月を経て、いよいよ太陽がてんびん座からさそり座へと移っていく今週は、まさにそれくらいのつもりで自らの道を力強く切り開いていくことが求められていきそうです。
異人とは誰か?
先ほど「異族Alien」という言葉が出てきましたが、それについて考えるにはまず「異人stranger」とは誰のことを指しているのか、ということを問わなければなりません。
社会学者のゲオルグ・ジンメルによれば、「異人」とは漂泊と定住の両義的在り方を示す人々のことでしたが、この点では折口信夫が定義づけた周期的に他界から来訪してくる「まれびと(稀人・客人)」もまた異人の一種と言えるでしょう。
つまり「異人」というのはあくまで関係概念であり、ひとつの内集団(われわれ)としての共同体の内側(中心)に視点をすえ、当の共同体への訪れや、あるいは周縁部へと疎外され自分たちから見えなくなっていた現実が「異人」(かれら)として表象されてきた訳です。
その意味で「異人」とは、自分からは見えなくなっていたけれど、この世界を成立させてくれている大切な存在であり、「異人の首を掲げる」という一見すると凄惨な表現は、そうしたかそけき兆しを見つけてゲットしたり、ピックアップすることの表れだったのかも知れません。
今週あなたは、果たして自分に新しい世界を見させてくれる異人の兆しを見出すことができるでしょうか。そしその首を掲げることができるか。楽しみにしていきたいところです。
今週のキーワード
未知の野を分け行く私