てんびん座
女子高生のおしゃべりみたいな
ぐるぐるするのも悪くない
今週のてんびん座は、お釈迦さまの手のひらの上でうろうろする孫悟空のごとし。あるいは、「進歩」も「発展」も放り投げたゆるいストーリーを設定していくような星回り。
孫悟空はある時、キント雲でこの世の果てまで飛んでいき、宇宙の果てにあると言われる柱に証拠のしるしを書いて戻ってきます。
ただし、その柱はじつはお釈迦様の手の指で、孫悟空は1歩もお釈迦様の手のひらから出ておらず、得意顔で悪さをしていた孫悟空もこの件でさすがに降参してしまったという話は、西遊記の中でも最もよく知られたエピソードですよね。
これはある意味で、今週のてんびん座にとって最良の指針の1つと言えるでしょう。
3日(月)にてんびん座から数えて「師(グル)」や「神託」を意味する9番目のふたご座で新月が形成されていく今週は、何かしら新たな任務を授かっていくか、あるいは自らに課していくことになりそうなのですが、その際注意したいのは、古き良き時代の英雄譚のようなヒロイズムをいかに持ち込まずにいられるかということ。
「空を悟った猿」のごとき孫悟空は、さながら進歩と発展を信奉してきた人類のメタファーのようでもありますが、今の時代においては、そうした主人公像やストーリー展開というのはなかなか成立しません。
むしろお釈迦様の手のひらの上をうろうろしていって、知らない道と知っている道とが結びついていく内に、思いがけないセレンディピティを体験していくような、ある意味で円環的な物語を受け入れていくことで、かえって開けてくるものがあるはずです。
不可能性の時代を生きる
社会学者の大澤真幸は、現実の意味的な秩序の中心には反現実があり、戦後の日本社会というのはそのモードが「理想→虚構→不可能性」と転換してきているとし、1995年の地下鉄サリン事件などの一連のオウム事件を虚構の時代の果ての不可能性の時代の始まりとしました。
つまり、破壊的な暴力として現われた「現実」への逃避と呼ぶほかない現象(例えばリストカットのような自傷行為のような)が頻繁に見られるようになっていったという訳です。
この自分の生きる時間的・空間的な展望の超虚構化と、戦場や現場などの「現実」への接近との交叉は、しかしどこか「お釈迦様の手のひらの上で転がされる」という体験とも通底しているのではないでしょうか。
いま現に私たちが生きている時代性を再確認していく意味でも、今週はあえて女子高生のおしゃべりのような無目的で雑談的な営みを大切にしていきたいところ。
今週のキーワード
『虚構の時代の果て』大澤真幸