てんびん座
豊かさとは自己の背景にあるもの
熊楠の自己同定
今週のてんびん座は、熊野という土地と一本の楠(くすのき)に並々ならぬ思いを寄せた南方熊楠のごとし。あるいは、アイデンティティの内奥へと深く潜っていくような星回り。
卓抜した民俗学者にして粘菌の研究者として唯一無二の存在であった南方熊楠(みなかたくまぐす)は、亡くなる2年前の昭和十四年三月十日付の真言僧・水原某宛ての手紙の中で、「小生は藤白王子の老楠木の神の申し子なり」と述懐しています。
「藤白王子」とは藤白神社のことで、熊野の入口と言われている場所であり、熊楠はこの神社の楠の大木から「楠」の名を授かり「熊楠」と命名されたこともあり、その木をみずからの生命の根源と見なしており、自分はその老楠から生まれ出た粘菌人間と思っていたのではないかと思われます。
このことは、単に彼のセルフイメージやアイデンティティといった話だけに留まる訳ではなく、のちに彼が鎮守の森の伐採とセットであった神社合祀への激烈な反対運動へと駆り立てられていく原動力ともなっていきました。
熊楠にとっては、たかが木一本という判断さえも決して容認することはできなかったのです。
今のあなたには彼ほどに深く自己同定しえるものが何か思い当たるでしょうか?
今週はそういった自己の背景を辿ってみるといいでしょう。
富への予感と根をもつこと
フランスの思想家シモーヌ・ヴェイユに『根をもつこと』という著作がありますが、そこで彼女は「根をもつこと」は人間の魂のもっとも重要な欲求であり、またもっとも定義の難しい欲求のひとつであるとしています。では実際に、どのようにしてそれを行うのか。
「人間は、過去のある種の富や未来へのある種の予感を生き生きといだいて存続する集団に、自然なかたちで参与することで、根をもつ。自然なかたちでの参与とは、場所、出生、職業、人間関係を介しておのずと実現される参与を意味する。」
さまざまな合縁奇縁を通じ、広義の意味での「富と予感」を備えた集団に参加することで人は初めて「根を持つ」ことができると。さらにヴェイユはこう続けます。
「人間は複数の根を持つことを欲する。自分が自然なかたちでかかわる複数の環境を介して、道徳的・知的・霊的な生の全体性なるものを受けとりたいと欲するのである。」
「生の全体性を受けとる」ために、人は新たな根を欲する。ここはヴェイユの言いたいことの核心を突いた重要箇所です。
よく言われるように「癒し(heal)」とは「making whole(全体にする)」という意味から来ていますが、それを彼女の言説に当てはめていくと、人は「道徳的・知的・霊的」に癒されていくために、さまざまな集団に参加し、その影響を自然な形で関わらせていく、ということになります。
どんな集団へ参加していくことが根源的な欲求を満たしてくれるのか。てんびん座のあなたにとって今週は、そうしたことをいつもより一段深い層で考えてみたいところ。
今週のキーワード
生の全体性を取り戻す