てんびん座
「語り」の文体練習
「語り」の効用
今週のてんびん座は、自分の「語り」を見守っていく天使のごとし。あるいは、自分で自分を癒すということの難しさに直面していくような星回り。
精神分析学の創始者であるフロイトは、主に病院でのケース・スタディに基づいて作り出していきましたが、ヒルマンという心理学者が面白い指摘をしていて、事例研究としてのケース・スタディは本来「ストーリー」と呼ぶべきじゃないかと言っているのです。
この場合の「ストーリー」は日本語でいえば「語り」という言葉になるのでしょうけれど、「語り」というのは単に事実を記述しているだけでなくて、そこに本人の考え、本人の感じ、本人の思想、本人の生きざまが入って、筋がついてくるのでなければ「語り」にならず、途端にシラけてしまいます。
つまり、20世紀以降、神経症やヒステリーといった心の病いの治療を担ってきた精神分析というのは、乱暴な言い方ではありますが、人々の無数の「語り」を分析していって、そこで実際に起きた事実と内的体験とがどうしたらうまい具合に昇華して、「語り」となってわだかまりが溶けていくかということを研究してきた訳です。
その意味では、今週のてんびん座のあなたもまた、自分のことや、これから自分が伝えていきたいことをどうしたらうまい具合の「語り」にしていくことができるかを研究していくことで、まずは自分の内にあるわだかまりを溶かしていくことがテーマとなっていくでしょう。
自分なりの節を付けていく
普通にあったことを言うだけの「話」とは区別された筋のついた「語り」が板についてくると、昔であれば大抵は本人の名前をつけて「おっ、〇〇節が出たね」というような言い方をされたものでした。
つまり、「語り」がこなれて様になってくると、そこに自然とメロディーのようなものが生まれ、ある種の「うた」に近づいていった。
そうして「話」から「語り」そして「うた」へ向かっていくにつれ、普通の人間関係での会話から離れ、芸となっていく。
それを哲学者の坂部恵という人は「緊張が緩和される方向」という風に言っていましたが、もっと端的に言えば、「話」が「語り」や「うた」へ昇華されるにつれ、人はそこで癒されるのです。
おそらく、「語る」というのはそこに私の心が入ってくるということで、それは意識の表面での動きというよりも、もっと深いところでいろいろ動いてくるのでしょう。
フロイトはそれを「無意識」と呼びましたが、日本人としては「深層意識」と言った方がピンとくるかもしれませんね。
今週のキーワード
「語り」には「騙り」つまりウソや誇張が入りこんでいる