てんびん座
遊女と修験者
遊女の知性
今週のてんびん座は、交通の要所に集って陰に陽に芸を披露した「遊女」のごとし。あるいは、身を固めることを断固拒否していくだけの力が湧いてくるような星回り。
日本の中世社会において、遊女の多くはいわば個人事業主の自由民でした。
したがって遊郭や旅籠に口減らしや出稼ぎ労働者として売られたあわれな娘という典型的な境遇を投影してしまうのは、ほとんど的外れ。
彼女たちは芸をもって身を立てれるれっきとした「芸能人」であり、そこには舞や謡や手品や人形遣いなどの表の芸もあれば、性愛によって客を甘美な幻影で魅了する裏の芸もあり、それらの高い商品価値をみずからの足と腕で作り出していた訳です。
こうした遊女の本源にあるのは、戸籍に入れられて国家に支配され税を徴収される農民的生き方への断固とした拒絶。
彼らはひとりひとりがそうした誇り高く逞しい商人でありつつも、川べりなどに集まって来ては音曲や嬌声の飛び交う煌びやかな幻影を共同運営しました。
さて、現代の私たちと中世の彼女たちを比べてみたとき、どちらの方が賢くしなやかな強さを発揮し得ているでしょうか。
ニューエコノミーの到来を肌で感じつつある人ほど、中世を生きた遊女たちの「知性」に感化されるところは大きいはずです。
修験者の行動力
日本古来の山岳信仰に、中国から密教が習合し、さらにそれぞれの土着のオリジナル要素が加わって生まれた修験道の祖である役小角(えんのおずぬ)(634~701)は、前鬼・後鬼と呼ばれる鬼を使役したり、朝廷から「神変大菩薩」の称号をもらったりとその生涯はまさに伝説尽くし。
中でもぶっ飛んでいるのは、人心を惑わしているという罪で伊豆の大島に流罪になった際、なんと空を飛んで毎夜富士山に登って修行をし、インドにまで行ってしまったという逸話でしょう。
ただし、彼は自分の修行のためだけに空を飛んでいた訳ではなく、孤立しがちな各地の山林修行者や、定住地を持たず諸国を渡り歩く芸能民、「まつろわぬ民」などをつなぎ、何らかのネットワークを形成していったことで、拠りどころなき者たちの精神的な屋台骨となっていったようです。
今週は、どこかそんな役小角の隠れた業績に自らを重ね、常識にとらわれることなく、どうか隠れたネットワークを開拓していってください。
今週のキーワード
道々のともがら