しし座
悲と愛
悲しいことは悪いことじゃない
今週のしし座は、「亡夫にこゑかけそこねたる昼寝覚」(市橋千翔)という句のごとし。あるいは、夢に見ても、そこから醒めても、なんだか哀しい夢を見ていくような星回り。
亡き夫の夢を見た。知らない街の雑踏の中にまぎれていたのか、それとも慣れ親しんだ縁側にでも腰かけていたのか。名前を呼びかけようと、のどまで出かかったところで、目が覚めてしまったのでしょう。
きっと作者は、そんな昼寝から目覚めた後の午後の時間を、ほの暖かい悲しさを感じながら過ごしたのではないか。
確かにもう会えない相手の面影をなまなましく感じてしまうことは、つらいことではあるだろう。けれど、いちばんつらいのは、悲しむべきことを前にして悲しむことができない、ということであり、午後の日だまりに悲しみを感じている自分に、どこかホッと安堵するという心境がふさわしいような気がする。
ひるがえって、「悲しい」ということは悪いことでも、避けるべきことでもないのだと思います。それは人間の真実にもっとも根ざした感情であり、「悲」が十分に感じられてあるからこそ、愛をもって誰かの苦しみをのぞこうという「慈(いつくしみ)」が湧いてくる。
今週のあなたは、そんなことを身をもってまざまざと実感していくでしょう。
ユア・マイ・サンシャイン
なぜ人は傷つくことがあってなお、誰かを愛そうとするのか。それは、生きていくモチベーションを自分ひとりだけで持ち続けるのは困難だから、という理由に尽きます。そう、ややこしいことはさておき、今週は、これからも生きていくためにいかに人を愛しうるか、ということが問われてくる時なのだとも言えます。
「われわれは生きて肉体のうちにあり、いきいきした実体からなるコスモス(大宇宙)の一部であるという歓びに陶酔すべきではないか。眼が私のからだの一部であるように、私もまた太陽の一部なのである。」(T・H・ロレンス『黙示録論』)
一般的には『チャタレー夫人の恋人』の作者として知られるロレンスがテーマにしたのは、近代社会の狭くせせこましい道徳の中でがんじがらめになった生命力を、偽善の拘束から解き放つことでした。
そして、思うにそうした偽善から縁を切っていくためには「夢」から醒める悲しみが必要なのです。
夢から醒めてなお、誰かを思うことであなたの心がじんわりと暖まってくるなら、その相手こそがあなたの「太陽」なのでしょう。
今週のキーワード
晴れた日の午後に想う人