
しし座
沈黙と鳴響

巨大なものの声が
今週のしし座は、「はじめに直観があった」という原点回帰のごとし。あるいは、世間の声や他者の言葉に反応するのでなく、もっと宇宙的な音声に集中していくような星回り。
覚束ないながらも人が何かを口にし、ついて出た言葉に誘われて詩を書き、時におおいに何かを語るのは、「はじめに思想があった」からではなく「はじめに直観があった」から。
あらゆることのはじめには、有無を言わせぬ絶対的体験があり、その根底には必ず1種のなまなましい生命のようなものが伏在している。ゆえに、それはいかにも学問的な語法にのっとった解説やシンプルなロジックなどではなく、あくまで内奥からせりあがって首や頭を突きぬけた先の上方でスパークして目をチカチカさせてはどこかえ消え去っているような、正体不明の直観という形でしかありえないのだ。
そうした直観というのは、日頃私たちが体験するような有限な存在である自分自身を尺度に相対的な比較や評価に基づいて捉える生命のない屍のような体験とは異なり、人間をこえたところにある自然を主語とし、宇宙万有に躍動している溌剌たる生命の流れを、言葉にならないところで直接的にその確実性を認識するがゆえの、これ以上ないほどの“なまなましい”体験となる。
たとえば、世界的な思想家であった井筒俊彦が、ギリシア哲学の成立において神秘主義的な実在体験の果たした意義と役割の重要性を論じた『神秘哲学』の冒頭はこう始まる。
「邈(ゆうばく)たる過去幾千年の時の彼方から、四周の雑音を高らかに圧しつつ巨大なものの声がこの胸に通って来る。
この後、ほとんどの人はこうした「声」をスルーして、無反応や無感覚になっているように見えるが、「これに相応え相和しつつ、鳴響する魂もあるのだ」と続く。
3月14日にはしし座から数えて「深い実感」を意味する2番目のおとめ座で月食満月(大放出)を迎えていく今週のあなたもまた、そうした「鳴響する魂」として自分自身を再発見していくことになるはず。
ことばを待つこと
SNSやLINEやメールのやり取りにどこまでも追われる日々を過ごしていると、現代人が本当に失ってしまったのは「話しあう」時間ではなく「黙りあう」時間なのではないか、という考えが定期的に浮かんできます。
もしも、それができたなら、私たちは当事者意識のない政治的詭弁からも、余計な空気の読みあいや、過剰すぎる人生相談からも解放されて、その数倍の“ことば”を聞き分ける機会を持つことが出来るのではないでしょうか。
逆に普段から‟ことば”を聞き分けることもせず、そのまま頭の中に張り付けてしまっている人というのは、いつしか自然に生気にみちたエロティックな生に入っていくこともできなっていくはず。つまり、そうしてみずからの人生を語る言葉を喪失していく訳です。
今週のしし座は、いつも以上に自分の内側を空にしてそこに生まれた沈黙に耳を澄ませていく必要に迫られていくことになっていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
ひとり黙っている時間の大切さ





