しし座
路傍の石
立ち位置の調整
今週のしし座は、『絶えず人いこふ夏野の石一つ』(正岡子規)という句のごとし。あるいは、中心であると同時に周縁であるような勘所をつかんでいこうとするような星回り。
むっと草の匂いがただよう夏野において、あえて「一つの石」に焦点をあてることで、かえってそこから周辺世界が豊かに展開されていくような効果を体感できる一句。
おそらく、大人が腰をおろしてそこでほっと一息つける程度の大きさ石なのでしょう。それは過酷な炎天下の道行きにおいてささやかな憩いの場として、入れ替わり立ち代わりさまざまな人間の、さまざまなストーリーが交錯する編み目のようなネットワークの隠れた中心地であると同時に、人間を中心になど回っていない夏野においてはやはりただのちっぽけな石ころなのである。
この広大な宇宙においてはちっぽけな存在に過ぎないということと、人間がわらわらと出てくるといつの間にかその中心に陣取って、ありありとその存在感を発揮してしまうということとが、矛盾しあいながらもかろうじて両立していく地点こそ、あるいはしし座の人たちが目指すべき理想の立ち位置があるのかも知れません。
ともすると、しし座とうのは人の世においては中心を模索してしまうところがあるのですが、自分が立っている「中心」もまた宇宙にとって数ある「周縁」に過ぎないのだということを、ゆめゆめ忘れずにいたいものです。
その意味で、7月28日にしし座から数えて「立場」を意味する10番目のおうし座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自分が「一つの石」になったつもりで過ごしてみるといいでしょう。
『白痴』の主人公ムイシュキン公爵
文芸評論家のミハイル・バフチンは、ドストエフスキーの長編小説の基本的特徴は「ポリフォニー」、すなわち「自立しており融合していない複数の声や意識、すなわち十全の価値を持った声たちによる対話的交通」にあるのだと言いますが(『ドストエフスキーの詩学』)、その典型例として挙げられていたのが『白痴』のムイシュキンという人物でした。
この小説でムイシュキンは過剰なまでに「ばか正直」な人物として造形されている一方で、心に染み入る言葉、つまり「他者の内的対話のなかに自信をもって能動的に介入し、その他者が自分自身の声に気付くのを手伝えるような言葉の持ち主」なのだと言います。
分かりやすく言えば、この人は宮沢賢治のいう「デクノボー」なのであり、人のじゃまをするのが大嫌いで、またほめられようとすることもありません。つまり、小賢しい思惑がない分だけ、他人の本質をすっきりと見通す力を持っており、ぼんやりしているようで、ぐいっと相手の心をつかむコメント力の持っている、ということなのでしょう。
今週のしし座もまた、図らずともそんなムイシュキン公爵に近づいていくようなところがあるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
気付いたらデクノボー