しし座
里から離れいくにつれ
「脳力」高まる
今週のしし座は、那智山中の幽霊村を訪れる熊楠たちのごとし。あるいは、不思議と世俗から足が遠のいて、まったく別の世界を開いていこうとするような星回り。
民俗学者で粘菌の研究者でもあった南方熊楠(くまぐす)を描いた水木しげるの『猫楠―南方熊楠の生涯―』に、熊楠が日本古来の聖地である那智山中の幽霊村を訪ねていくシーンが出てきます。
山中で身動きできなくなった熊楠が、「なーに、もうすぐ案内人がくる」と悠然としていると、「熊さんお久しぶり」と美女の幽霊が何人かやってきて、彼らが集団生活をしている村へ連れていかれるのです。そこで、熊楠の飼い猫で人語を話せる猫の猫楠が「全くセンセイといると生死の境目が分からなくなる」と呟いたことをきっかけに、2人のあいだでこんな会話が交わされるのです。
「しかし幽霊ってのは幻覚の一種じゃないのかナ」
「バカ、幽霊と呼ばれる現象は、幻覚や異常心理から作られるものではない。純粋な空間現象だ。(…)つまり実在の一形態であり、それを我々が知覚できるかできないかは全く“脳力”しだいだ」
「“脳力”ってなんだ」
「我々の欲得とか下らぬことにわずらわされず純粋な気持ちが高まったとき、即ち地球上の生命として純粋になったときそれは高まる」
「すると、現世と違った別の世界があるのか」
「それは皆をナットクさせるのはむずかしいケド」
「オレにむずかしいなんてことはないよ、猫楠だもの」
「まァ粘菌を例にとると…こいつは生と死を一つにもっているようなものだ。(…)粘菌の世界をみても死んだとみえる状態に似ているときに粘菌は最も活躍しているんだ。」
「すると人間は死んだと思われ無だと思われている時の方が、本当に生きているのかも知れないナ。人間は死後何もないと思うのは間違いだナ」
人間の世界である「里」とは対極の世界である「山」深くでは、常識という垣根も取り払われて、見える世界も在り方もまったく変わってくるというわけです。その意味で、7月6日にしし座から数えて「あの世」を意味する12番目のかに座で新月(種まき)を迎えていく今週のあなたもまた、常識を頭につめこむ代わりに宇宙からの力と直接からだで通じあっていきたいところです。
訪れの演劇
能を、彼方から誰かがやってくる「訪れ」の演劇と呼び始めたのは、いったい誰だったか。その詳細はともかく、これは非常に本質をついた巧い言い方であり、そんな「訪れ」の主たる人物である「旅の僧」には、どこか今のしし座の姿が重なっていくように思います。
よそ者である「僧」は、どこからか舞台にやってきては、戦争で人を殺した過去に苦悶する武士であれ、その恋と欲望ゆえに罪に問われる女性たちであれ、異形の獣や桜の精であれ、先の熊楠よろしく、舞台上でやはり彼方からやってきた亡霊たちと出会っていくのです。
僧は彼らの声を聞き、ときに諭し、ときに反論しつつも、次第にその声を受け入れ、彼の罪が許され、悲哀が癒されていくに従って、彼らの声はいつの間にか<物語>となっていきます。
今週のしし座もまた、単なる主張や意見ではなく、そうした誰かの口から語られる<物語>を成立させていく過程に直接関わっていくことが重要なテーマとなっていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
かそけき声から重要な<物語>へ