しし座
プレイしたいゲームの世界へ
理想は本当に小利口な小市民?
今週のしし座は、君主制を夢見るファンタジー世界のごとし。あるいは、自分が果たしてどんな共同体のデザインを望んでいるのか、明確にしていこうとするような星回り。
フランス革命やアメリカ独立革命以降、世界の趨勢(すうせい)は君主制や身分制を排した共和制を理想とするようになった。ところが、20世紀はヒトラー、スターリン、ポル・ポト、ホメイニーなど、共和制国家の独裁者による悪政が目立った時代だった一方で、君主制や身分制をのこした国々の方が比較的安定した政治を行っていたように思われる。
そして現代社会において、君主制や身分制と言えば、異世界転生ものを始めとしたファンタジー世界の舞台設定の定番となっているが、たとえそれらが虚構の世界であることを示すための分かりやすい物語装置だとしても、現代人の心の中に、民主制に基づく近代社会の構成に対する違和感がないかと改めて考えてみると、決してNOとは言えないはずだ。
例えば、リベラル派が推し進める機会平等な社会が実現されていけば、個々人の能力の差という事実は否応がなく浮き彫りになるくせに、人びとはあくまで自分の力を頼りにしていかねばならず、家族や地域などあらゆる共同体から個人は切り離されて、国家だけが個人とつながるようになる訳だが、本当にそれだけでこの世界が構成されてしまうのは、何とも生きづらいのだ。
国王がいて、王妃がいて、王子やお姫様がいる。公爵の息子は能力に関係なくその地位を継ぎ、歌舞伎の名門に生まれれば若くして主役になれるが、ただ実力があるだけではせいぜい名脇役どまり。そうした世界の構成は確かに非合理的で、ときに不条理でさえあるが、人びとのこころの中では、非合理な身分制や、例外的な「貴種」が出現するような世界へのおさえがたい郷愁のようなものがあるのかも知れない。
6月6日にしし座から数えて「オルタナティブ」を意味する11番目のふたご座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、自分は自分以外の他者や世間とどんな形で関わり合いたいのか、改めて理想を浮き彫りにしていくことになりそうだ。
「無限ゲーム」のフィールドの中での目覚め
宗教学者で無神論者のジェイムズ・カーズによれば、ゲームには明確なルールと定義された終わりがあり、勝つことを目的にプレイする「有限ゲーム」と、プレイし続けるのが目的であり、ルールに難があればゲーム遂行のために変えられなければならない「無限ゲーム」の少なくとも2種類があるのだと言う。
ゲーム・クリエイターのイアン・チェンはこうした区別を受けた上で、さらに「われわれにとって人生は、締め切り、取引、ランキング、日程、選挙、スポーツ、大学、戦争、ポーカー、宝くじといった有限ゲームに満ちている。有限ゲームで勝っても、ベース・リアリティ(実感の基礎)に立ち戻ることができず、その接点に介在する無限ゲームのフィールドの中で目覚める。われわれが無限ゲームに生きるのは、それが肉体的、精神的な健康とは無関係なベース・リアリティに意味をもたらすからだ」と述べている(『美術手帖 2020年8月号 特集「ゲーム×アート」』)。
例えば、子どもを持つことはクラシックな無限ゲームですし、会社を設立することも、オンラインでの人格を開発したり、架空のファンタジー世界をつくることもそうだろう。
今週のしし座もまた、このように世界をある種のゲームとして捉えた上で、いかに有限ゲームの世界から脱け出していけるかということが一つのテーマとなってくるはず。
しし座の今週のキーワード
終わりなきゲームを楽しむために