しし座
月にかわって沈黙よ!
哀しみの果てへ
今週のしし座は、小説の作者が主人公へ送る「哀しみのまなざし」のごとし。あるいは、自分にとって楽な選択に走って割り切ろうとするのではなく、自身のグレーゾーンな領域をこそ俯瞰的に見つめ続けていこうとするような星回り。
南アフリカ出身の作家ジョン・マクスウェル・クッツェーの小説『恥辱』は、52歳の芯から腐ったような男性を主人公としたタイトルの通りどうしようもないお話です。彼はやる気ゼロの大学教員で、無教養な人間や田舎者をひたすら軽蔑している一方、性欲をコントロールできずに教え子に手を出してしまい、その一件で大学を追われ、その後も転落の一途をたどっていくという非常に重たいストーリーなのですが、どうしたことか読み出すと止まらないのです。
おそらくそれは重くて禍々しい展開を、ひたすら俯瞰的な文体で描いているからでしょう。例えば、主人公が教え子と会話している次のくだり。
「ふたりの関係を心配しているのか?」
「そうかも」彼女は言う。
「なら心配いらない。気をつけるよ。行きすぎないようにしよう」
行きすぎる。この手の話で、〝行く〟だの〝行きすぎる〟だの、なんのことだ?彼女の行きすぎと、こちらの行きすぎは、果たしておなじなのか?
小説としてはまだ序盤の段階にも関わらず、まるで語り手はすでに主人公を見放しているかのように本音を漏らしています。こうした箇所がその後も随所に出てくるのです。ただ、それは単に主人公を見下しているというよりは、哀しみのまなざしであり、単純な善悪や白黒はっきりじゃないグレーな人間を見つめるそれなのだということも分かってきます。
2月14日にしし座から数えて「対象理解」を意味する7番目のみずがめ座で火星と冥王星とが重なって「徹底的なやりこみ要素」が強調されていく今週のあなたもまた、自身の視界に人間という事象の裏の裏までを見通すだけの奥行きをもうけていきたいところです。
静かなる変革
何か誰かを「敬う」とは、その相手の後ろ姿に心から「うなづく」ことができるということでもあります。それは簡単なようで難しく、なぜなら「絶対に正しいこと」など世の中にほとんどないように、目の前の対象や相手を疑う心がゼロである人間はいないから。
だからこそ優れた師というのは、弟子に「それはなぜそうするのですか?」と聞かれても、しばらく前方を見つめて、うなずいてから、説明せずに無言を貫くのです。
これは、「ああなってこうなって、こうなるんだ」と言葉で説明しようとしても、どれも正確には表現し切れないのです。優れた師であるほど、不正確なことには黙ってしまうものなのです。しかし、そうした沈黙こそが、かえって弟子に変革を引き起こす。これはちょうど、小説の作者が取るべき登場人物への態度にも通じるところがあるのではないでしょうか。
そういう意味では、もしかしたら人間にとって最良の師とは「月」なのかも知れませんね(太陽ではダメなのです)。その後ろ姿にうなづいていくこと、そしてここぞという時ほど沈黙を大切にすること。今週のしし座は、この2つのことを心に留めていきましょう。
しし座の今週のキーワード
あえて何もしないセーラームーン