しし座
慕う
ある男の中の純粋さと明晰さ
今週のしし座は、世俗の脂を落としてパサパサになった髪を無造作に垂らした男のよう。あるいは、自身の真の姿を透視していこうとするような星回り。
戦後まもない娼婦の街を舞台にした吉行淳之介の短編小説『驟雨』は、大学を出て3年目の独身サラリーマンである山村という男が主人公なのですが、彼は「精神の平衡をつねに保っていたい」という理由から女性関係はもっぱら娼婦に通うことに限定しているという、年の割には老成した考え方の持ち主でもあります。
ところが、「この町から隔絶したなにか、たとえば幼稚園の先生の類を連想させた」、「若い美しい保母」のような道子という娼婦と出会い、彼女のいるお店に通い続けるうちに、ミイラ取りがミイラになって嫉妬に苦しみ始めます。
ただ、一方で「(娼家の風呂に入って)すっかり脂気を洗い落としてしまった彼の髪は、外気に触れているうちに乾いてきて、パサパサと前に垂れさがり、意外に少年じみた顔つきになった」とあるように、自分のなかに老成した大人と純粋な少年が同居していることに山村は次第に気付いていきます。
つまり、普通は愛情と呼ぶものの中に少なからず混入された計算やエゴイズムに気付かない鈍感さや偽善や自己欺瞞を許容できない純粋さと明晰さこそが、そうして彼を娼婦の街へ赴かせる原因となっていたことが明らかになっていく訳です。
11月24日にしし座から数えて「再誕」を意味する5番目のいて座へと「リビドー」を司る火星が移動していく今週のあなたもまた、そんな風に自身の言動の背後に潜むものを見つめていくことがテーマとなっていきそうです。
荻原朔太郎の評釈
古今和歌集に載っている『大空は恋しき人の形見かは物思ふごとに眺めらるらむ』(酒井人真)という恋歌について、かつて荻原朔太郎は次のように評していました。
恋は心の郷愁であり、思慕のやる瀬ない憧憬である。それ故に恋する心は、常に大空を見て思ひを寄せ、時間と空間の無窮の崖に、抒情の嘆息する故郷を慕ふ。恋の本質はそれ自ら抒情詩であり、プラトンの実在(イデア)を慕ふ哲学である。(プラトン曰く、恋愛によってのみ、人は形而上学の天界に飛翔し得る。恋愛は哲学の鍵であると。古来多くの歌人等は同じ類想の詩を作っている。…しかし就中この一首が、同想中で最も秀れた名歌であり、縹渺たる格調の音楽と融合して、よく思慕の情操を尽くしている。)(『恋愛名歌集』)
ここには「心の故郷」へ回帰する道としての哲学、そしてプラトンの対話篇とはそれへの愛を問いただした痕跡に他ならなかったのだという詩人の洞察が示されています。彼の中では「実在(イデア)」という哲学的概念と抒情詩=恋愛とがこれ以上ない魅力的な仕方で結びついていたのでしょう。そして、先の山村の「意外に少年じみた顔つき」というものが何によってそうなったのかも、ここに示されているように思います。
今週のしし座もまた、単なる感覚的な享楽よりも真剣に求めていくに値するものに改めて向きあっていくべし。
しし座の今週のキーワード
イデアを慕ふ