しし座
社会から見えない領域へ
秋風はどこに吹く?
今週のしし座は、『秋風やこけしの頭順に低し』(村上鞆彦)という句のごとし。あるいは、世間が無視し、その存在を忘れ去ろうとしているものにこそ改めて目を向けていこうとするような星回り。
掲句は、作者が実際に鳴子の温泉街で見かけたこけしの土産物を見て詠んだ一句。そこはかとなく哀れをそそる秋風の情趣とこけしの寂しげな表情との組み合わせはやや作為的で、俳句としてはすこし“出来過ぎ”な感じはしますが、「順に低し」という末五でその月並みさが破かれようとしています。
これは並んだこけしがたまたま背丈の順に並んでいたということなのでしょう。だとすれば、「順に髙し」というふうにも言える訳ですが、こちらだと秋風のどこか身にしむるような、透明な気配とは合わない。つまり、どうしたって「順に低し」でなければならない。より低いほう、小さいほうへ。中心から周縁へ。目立たず、無視されがちなところへと、秋風は吹きわたっていく。
それは、「〇〇に違いない」とか「どうせ△△だろう」といった決めつけや想像力の断絶によって、ともすると閉鎖的で息苦しいものになりがちな地上の人間社会に風穴をあけるべく、どこか遠くの世界から降り注いでくる宇宙線のようでもあります。
そして、そうした“偶発事”を受け取る役割を果たしているのは、小さなこけしのように、いかにも役立たずで、無用に見えるような意外な人と決まっていて、例えばそれは幼児であったり、ぶらぶらしている人であったりするもの。
同様に10月6日にしし座から数えて「片隅」を意味する12番目のかに座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、いっそ自分も“小さなこけし”側に立ってみるべし。
周縁から立ちあがる
芸術が芸術たりえるのは、真っ向勝負ではなく、立ち位置を周縁へと動かしたり、少し角度を変えていくからで、それを資格や制度や権力のど真ん中に収まって喜んだり争ったりしているようでは、そこから豊かなものはまったくもってできあがってきませんし、そこに集う個人も、次第に創造的ではなくなっていきます。
そうして、停滞した社会に新風を吹き入れるために、人類の共同体内には太古の昔から「結社」というものが存在してきました。そこでは主に青年たちが、既存の秩序やルールを大きく逸脱した異常な働きを取りこんで、束の間のあいだ世間から隠れることで、自分と世界に他に類のない豊かさをもたらしてきましたし、それこそが結社の命でした。
今週のしし座もまた、表面的な流行を追ったり、ただ保身や安定のために動くのではなく、端的に感動すること、愛すること、望むこと、そして身ぶるいするために、どこに身を置き、誰と関わることで、限られたリソースを割いていくべきか、丁寧に見直してみてください。
しし座の今週のキーワード
カオスを抱え込む