しし座
近代化のリセットをはかる
※7月2日配信の占いの内容に誤りがございました。お詫びして訂正いたします。(2023年7月3日15時11分更新)
干渉場としての心身
今週のしし座は、無心に作務にはげむ寺の小僧のごとし。あるいは、無理な集中よりも思いきり発散した後の静かな快感をこそ追求していこうとするような星回り。
いわゆるスピリチュアルや陰謀論にハマりがちな人というのは、たいていは“大真面目”に世間に適応しようとしているだけなのであって、だからこそかえって袋小路に陥りがちなのかも知れない。こうした実感は、改めて30年以上前に起きたオウム真理教について振り返る度に抱く実感ではありますが、例えば整体師の片山洋次郎は『オウムと身体』という本の中で次のように語っています。
オウムに『生死を超える』という本がありますが、いくら力んでも「生死を超える」わけではありません。思いきり生きていると瞬間瞬間に「死」があり、刻一刻生まれ変わっているのがわかる。また、一人きりで生きているのではないこと―常に回りの人たちやモノの世界と響きあっていることもわかります。自分の意識だと思っているものが、実は自分と回りの世界の干渉の場だということもわかってきます。生ききっているその瞬間こそ、自らが空っぽだということがわかるのです。
こう言われてみると、確かに現代日本社会のように死を忌み避ける代わりに、死が日常的な光景としてあった近代以前のチベットのような社会では、かえってカルト宗教のような生まれないでしょうし、その意味で、近代合理主義を見直し、健全な生活感覚を取り戻すには、ごく身近なところで「死」を感じたり、片山がいうような「自分と回りの世界の干渉の場」となって響きあっている感覚を取り戻していくことが近道なのだとも言えるはず。
7月3日にしし座から数えて「厄落とし」を意味する6番目のやぎ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そうした抜け感づくりに長けていくべく、まずは自身のこわばりや力みをとっていくことから始めてみるといいでしょう。
怪異に浸る
考えてみれば、マスクやワクチンなども含めて、近代社会というのは社会のあらゆる場所から怖れを隠蔽する技術を非常に発達させており、その結果、私たちは日常のどこを向いても均質な時間と空間の広がる、どこか“のっぺらぼう”な世界を生きています。
ところが、近代化以前の中世社会というのはその真逆で、夜が明けてから日が沈んで、夜に見る夢の中まで、近代人がなかなか共感できないような怖れに取り囲まれて暮らしていました。そしてそれは運命とか、死とか、天変地異とか、病気とか、戦争とか、さまざまな顔をしてこちらに向いており、中世の人々はそこで怖れと直接的にぶつからざるを得なかったのです。
例えばロマネスクからゴシックにいたる建築物にはさまざまな怪物たちが配置されていますが、あれらは本来そうした怖れそのものである世俗の要素を遠ざけるために設置されており、然るべき位置に置かれていなければならなかった訳ですが、今では三越のライオンもそうですが、逆に客寄せに使われてしまっていて、これも怖れの感覚が私たちの中ですっかり薄らいでしまったことの証しでもあるのではないでしょうか。
一方で日本人の場合、床の間にあがってはいけないとか、敷居を踏んではいけないとか、中世的・古代的な空間についての意識が古層のところでかろうじて残っていますから、そういう意識とつながっていくことで、「自分と回りの世界の干渉の場」となって響きあっている感覚を取り戻していくこともできるはず。
その意味で、今週のしし座もまた、そうした身の回りに埋まっている中世的・古代的な意識の古層と積極的に繋がっていくべし。
しし座の今週のキーワード
怖れを体感すること