しし座
もう1つの知
2つの時間の交錯としての人生
今週のしし座は、『たんぽぽや長江濁るとこしなへ』(山口青邨)という句のごとし。あるいは、多層的な時間の「重ね合わせ」によってこの世界を素描し直していこうとするような星回り。
春、たんぽぽが咲いている。その向こう側でゆっくりと長江が流れている――。
長江は全長6300キロにも及ぶ中国最大の河川であり、おそらく未来永劫かわらないであろうその濁りと流れは中国悠久の歴史を思い起こさせます。実際、長江は古くから交通の中心でもあり、その流域では文明が起こり、文化が栄えては衰えを繰り返してきました。そして、そのかたわらに咲くたんぽぽもまた、世代交代を繰り返しながら、そうした栄枯盛衰(えいこせいすい)の歴史を見守ってきたのでしょう。
その意味で、掲句ではこちらとあちら、小と大、2つの異なる時間の流れが交錯している様子がさりげなく描かれているのだと言えます。地面から直接咲いてくるたんぽぽが、私たちがこの世界でおのずと落ち着き場所が定めて、そこに根づいていく感覚の比喩だと解釈するなら、とこしなえ(永久)を思わせる長江は、局所的に固められ、解決されたかに見える人生の問題をふたたび解かれるべき謎へと差し戻していくような感覚の比喩とも解釈できるかも知れません。
私たちはきっと、この世界で時間をかけて身を固めてゆくだけでなく、そうして小さくまとまりがちな心や自身の世界を巨視的な文脈へと重ね合わせてゆくことにも時間をかけているはず。
29日にしし座から数えて「解きほぐし」を意味する12番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、何もわかっていなかった頃の戸惑いや謎の感覚を深く思い出していくべし。
役に立ったらそこでおしまい
中国古典の『荘子』には面白いエピソードが数多く出てきますが、そのうちの1つに、幹がこぶだらけで枝の曲がりくねった大木があって、これを何の役にも立たないと言う人に、荘子が次のように語ったという話があります。
大木があって用いようがないとご心配のようですが、それを何物も存在しない広々とした空漠の野原に植えて、そのまわりでかって気ままに休息し、その樹陰でのびやかに腹ばって眠るということを、どうしてなさらないのです(金谷治訳注)
役に立つかどうかを確かめ、有用性を求めるのは、たしかに1つの知性のあり方ですが、一方で荘子は「人々はみな有用なものが役に立つことはわかっていても、無用なものが役に立つことを知らない」と言います。
これは「有用性」とか「役に立つ」か否かに基づく知というものが、どうしても偏ったものになってしまいがちで、時代や社会や文脈に応じて変化していくものだということに警鐘を鳴らしている訳で、「無用の用」という言葉もここから生まれたのだそう。
その意味で、今週のしし座もまた、短期的な視点や目先の利益を追うだけの価値観からできるだけ距離を取って、「無用の用」を自分なりに追求していくことがテーマとなっていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
役に立たないものこそ、実際は大きな役割を果たしていること