しし座
とっぱづれる
肌になじむ頓珍漢さ
今週のしし座は、『なの花のとつぱづれ也ふじの山』(小林一茶)という句のごとし。あるいは、世間基準というよりあくまで自分にとってちょうどよく感じられる立ち位置におさまっていくような星回り。
「とっぱづれ」とは新潟地方の方言で、ほんらいは「過失」の意。そこから「(あるべき位置や正しい場所から)はずれる」の意で使われ、何を間違って「とんでもなくはずれやがってぇ」くらいのニュアンスを含むようになった言葉。
掲句では、「もうとんちんかんなくらい、菜の花畑の端っこも端っこ」にやっとひっかかるようにのぞいている富士山が詠われているわけですが、どうも作者はいかにも権威然とした富士山そのものというより、それを「とつぱづれ」な立ち位置から見るものの見方が好きだったようです。
「晴天のとつぱづれなり汐干狩」など、この言葉を使った類型句を多くのこしているのです。その、どこか頓珍漢さをなじるようなニュアンスのなかに、まさに頓珍漢として生きた自分自身の肌になじむものを感じていたのかもしれません。
2月14日にしし座から数えて「居場所」を意味する4番目のさそり座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな「とつぱづれ」な視覚に佇んでみるといいでしょう。
鼻歌でも歌いながら
資本主義の時代において、都市の無意識は機能性を失った空き地にこそ宿るのだと言われていますが、そういう場所にふさわしい仕方で「とっぱづれる」ためには、ある種のコツのようなものがいるように思います。
それは例えば、進むべき道を「外(どこか遠く)×上(上昇)」の方角に設定するのではなく、「内(既にあった)×下(下降)」の方角へと切り替えていくといった、“無理のない”“等身大の”生の実感への原点回帰をもたらす感覚にもとづくものであるはず。
もし今あなたが、少しでも行き詰まりを感じているなら、とりあえず鼻歌でも歌って適当にぶらぶら散歩してみてください。次第に自分への嘘や恨みつらみに囚われる愚かさは消えていき、足どりは空き地に通じる道へと自然と向かっていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
自分の内側へ降りていく