しし座
何かを嗅ぎとる
目と鼻の先にある春
今週のしし座は、『暖かし寄目をすれば鼻が見ゆ』(南十二国)という句のごとし。あるいは、まだ誰も気付いていないような春の気配をたぐり寄せていくような星回り。
もうすぐ暦の上では春となりますが、体感的には当然ながらまだまだ冬真っ只中です。とはいえ、よく目を凝らし鼻をきかせて探せば、立春を期にだんだんと春の兆しが見え隠れし始めるはず。
掲句もそんな、まだはっきりとは感じられない春の前触れを探し当てようとしているさまを描いた一句なのでしょう。確かに寄り目をすれば、かろうじて鼻先を見ることはできるかも知れませんが、ここで作者が見ようとしているのは物理的な自分の「鼻」ではありません。「鼻のさき」すなわち、すぐ目の前にあるはずの「花」であり、それは春が胎動し始めるにつれて色濃くなるどこかあまい匂いであり、暖かく湿ったいのちの手触りなのです。
結びの「見ゆ」という古い動詞形も、単に能動態の「見る」でも受動態の「見える」でもなく、まさに今この瞬間に見えつつある何かによって自分が開かれつつあるという陶酔的なメタモルフォーゼの過程にあることを指し示す表現となっているのでしょう。
その意味で、29日にしし座から数えて「向きあうべきもの」を意味する7番目のみずがめ座の半ばに太陽が達して立春を迎えていく今週のあなたもまた、そんな目と鼻の先にある「花」の兆しにまみれていくべし。
ある思想家の転回点
伊勢湾に突き出た大王崎(だいおうさき)の突端に立った若き日の折口信夫は、そこで磯の香りとともにこれまでとは異質な考えがふっと降りてきたような感覚を抱いたそうです。
光充つ真昼の海に突き出た大王崎の尽端に立つた時、遥かな波路の果に、わが魂のふるさとのある様な気がしてならなかつた。(「妣が国へ・常世へ 異郷意識の起伏」『古代研究』)
遅れてきた古代人・折口信夫が「神」の祖型としての「マレビト」の思想を着想した瞬間です。このとき、彼の前にはまぶしい陽光を反射する、穏やかな伊勢の海が広がっており、その光景の中から「海の彼方より寄り来る神」という考えが不意に湧き上がってきたのであり、それはおそらくかつて海を渡って日本列島にやってきた日本人の祖先たちが抱いていたのと同じものだったのではないでしょうか。
彼の学問の根底には、そうした本で読んだだけの机上の空論では終わらない、自分なりの仕方でつかみとった実感というものが息づいていました。彼は実際に海の彼方を見つめながら、そこに自身の魂の原郷を嗅ぎ取らんとした訳です。
今週のしし座もまた、今こそみずからの足や手や鼻や耳を通して深い実感を手繰り寄せていけるかが問われていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
自分なりの実感を求めて