しし座
これ以外に道はない
裸の王様、裸に気づく
今週のしし座の星回りは、「知識人ごっこ」の終焉のごとし。すなわち、知的であるということを再定義していくこと。
2010年代以降、これまで長く続いてきた「知識人ごっこ」の時代が終焉に向かいつつあるように思います。例えば、どこ大学にもかつては「良心的なだけ」がとりえの、政治的な発言ばかりして何の実績もない教員が一定数いたものですが、3.11後に脱原発へと民意が雪崩をうった状況でそうした世間の空気とむしろ同一化する道を選んでいった多くの左翼系の言論人たちを目撃し「進歩的知識人」という幻想がガラガラと崩れていったものです。
確かに、事故に見舞われた福島の人びとは被害者であり、これまで原発行政の情報隠匿に騙されてきた国民も被害者であり、そういう彼らの「気持ち」によりそう政治を目指そう、と言いたくなる気持ちは分かります。ただ、「誰が被害者なのか」ということは、何かのはずみで180度くるりと変わってしまうものであり、いきなりデモに行く前にもっと冷静になって議論していく必要があったし、それを呼びかけるのが「知識人」の役目だったのではないでしょうか。
あるいは、「責任ある加害者」を前にした「正義の被害者」のような、あらかじめ反論を封殺できるような状況でだけ大きなことを言っていびってきたのが「知識人」の実態だったのかも知れません。
その意味で、16日にしし座から数えて「自己価値」を意味する2番目のおとめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、一見するともっともらしい言葉に振り回されておかしくなっていないか、今一度自分自身や周囲に呼びかけていきたいところです。
シュペングラーの『西洋の没落』
われわれは、この時代に生まれたのであり、そしてわれわれに定められているこの終局への道を勇敢に歩まなければならない。この以外に道はない。希望がなくても、救いがなくても、絶望的な持ち場で頑張り通すのが義務なのだ。
この激熱な一文は、今からおよそ100年の1918年ころ、つまり第一次世界大戦末期にドイツで出版された『西洋の没落』という歴史書の体裁をとった予言書からの引用であり、敗戦に打ちひしがれたドイツ人の心情に強く訴えかけるものがあったのか、飛ぶように売れて瞬く間に数十版を重ねる一大ベストセラーになりました。
興味深いのは、その本の中に書かれた内容が、昨今の日本でもベストセラーに名を連ねがちな、安易にナショナリズムを高揚させるようなものではなく、むしろその真逆であるという点。西洋文明において共有されていた、「ギリシャ・ローマ→中世→近代」という直線的かつ単線的な進歩史観を真っ向から否定してみせたのです。
単に悲観に諦めに走るのは簡単ですが、シュペングラーのように、まず社会がほとんど無意識のうちに前提としている考えを徹底して懐疑し、執拗に批判しそれを公に公開するだけの姿勢は、今週のしし座にとってもよき指針となるでしょう。
しし座の今週のキーワード
他の誰よりも「警告者」たらんとすること