しし座
回路と抵抗
冬薔薇に捧ぐ
今週のしし座は、『冬薔薇や賞与劣りし一詩人』(草間時彦)という句のごとし。あるいは、見失ってはいけない気品と矜持を心中に飾っていこうとするような星回り。
昭和29年の作で、作者はこのとき34歳。高校生の時に胸を病んで退学したまま終戦前後の混乱期をへて、31歳でやっとサラリーマンになった人で、略歴にも「学歴なく、病歴多し」とあることから、会社での待遇も厳しいことの方が多かったのかも知れません。
しかし、自分にはサラリーマンだけがすべてではない。たとえ賞与という動かしがたい事実によって同僚たちとの差を突きつけられようとも、一詩人として存在している誇りがあれば自分は胸を張って生きていける。そしてそのことを、目の前の冬薔薇だけは分かってくれるはずだと。
ここで呼びかけられる対象となっている、慎ましくも凛とした冬薔薇の佇まいに、おそらく作者は自分の理想を見出しているのでしょう。「一詩人」と謙遜した言い方ながらも、この句からは作者が逆境の最中にあっても決して自らの存在理由を見失っていなかったことが、静かな迫力とともに伝わってくるようです。
同様に、11月8日にしし座から数えて「ロールモデル」を意味する10番目のおうし座で皆既月食を迎えていく今週のあなたもまた、腐ることなく花開いていく自分を胸に思い描き続けていくべし。
抵抗する網目としての主体
哲学者のキルケゴールは「自己とは、関係が、関係において、関係に関係することである」というテーゼを打ち出しましたが、宮沢賢治もまたよく知られた詩の一節である「わたくしといふ現象は、……因果交流電燈の、ひとつの青い照明です」において、因果という「関係」の総体から「私」が現れてくるという似たようなビジョンを描いてみせました。
賢治のいう「因果」は、どこか今日的な電脳メディアや仮想現実空間のいたるところに張り巡らされた電気回路を想起させますが、「私」はそこに現れる「電燈」なのですから、「私」はその電気回路のうちの、フィラメントなどによって「抵抗」の高まった場所であるということになります。
「私」はそうしたメディアの網の目のなかで、情報が「私」を素っ気なく通りすぎていくのを阻止しようとして抵抗を与え、それによって「私」は熱と光を発し、そういうものとしてのみ自分自身を認識し、また認知されていく訳です。
今週のしし座もまた、今置かれている「因果」な環境に、できる限りの「抵抗」を試みることで、広大で複雑な「関係」の中でおのれを確かに感じていくことがテーマとなっていくでしょう。
しし座の今週のキーワード
抵抗とそれに伴う発光としての存在証明