しし座
すてきなひとりぼっち
光と闇のはざまで
今週のしし座は、『黄金の眞実人体秋の暮れ』(永田耕衣)という句のごとし。あるいは、分断をふたたび連続へと連れ戻す往還運動のただ中に引きずり込まれていくような星回り。
秋の夕暮れは、目に映るすべてを黄金(こがね)色に染める。そして、気付けばみずからの身体もまたうっすらと赤みを帯びた黄色に輝いて、内側から光を発しているようにさえ見えてくる。
かつて作者は自句自註のなかで「世界、人類、人間、人生、個人すべてのものは、地球のように複雑多面で而も単一な塊(マス)であるように、僕は俳句を矛盾の統一体としてマスに作りあげたい」と述べていましたが、考えてみれば多数の細胞や臓器の集合体であり、固体と液体、物質と意識など、矛盾と同一のダイナミズムをつねに孕みつつ、それぞれの個別性を担保している「人体」とは、それ自体が「矛盾の統一体」であり、俳句そのものを文字通り体現しているのではないでしょうか。
そして、こうした気付きのプロセスによって、読者はますます世界に投げ込まれた「私」のどうしようもない受動性に、改めて呼びこまれていく。句自体は静的で無時間的なひとつの場面を提示しているだけなのに、それを読者が「読む」ことで、意識はどこまでも続く延長、連続、途上、生成へと絡めとられていくのです。
その意味で、俳句とはどこまでも存在を「茶化す」ことに他ならず、ともすると平板化や単純化に陥りがちな現実を、たえず解体しては再組織化し続ける営みなのだとも言えます。
10日にしし座から数えて「探求」を意味する9番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、破壊がそのまま救済であるような強烈な「茶化し」をキメていきたいところです。
谷川俊太郎の『朝』より
谷川俊太郎の『朝」という詩があります。この詩は「また朝が来てぼくは生きていた/夜の間の夢をすっかり忘れてぼくは見た」という書き出しから始まるのですが、この時点ですでに掲句のそれに近い体験が開示されていることがわかるはず。以下、その続きを抜粋。
いつだったか子宮の中で/ぼくは小さな小さな卵だった
それから小さな小さな魚になって/それから小さな小さな鳥になってそれからやっとぼくは人間になった/十カ月を何千憶年もかかって生きて
そんなこともぼくら復習しなきゃ/今まで予習ばっかりしすぎたから
この詩は『すてきなひとりぼっち』というタイトルの詩集に収録されているのですが、谷川の言葉は、まさにあなたを孤立や不安感から守るお守りにもなるだろうし、一方であなたをすすんで「ひとりぼっち」にもするかも知れません。
いずれにせよ今週のしし座は、そんなひとりきりでしか味わえない、誰もいない場所へと意識を飛ばしていくことがテーマとなっていきそうです。
しし座の今週のキーワード
個体発生は系統発生を繰り返す