しし座
匿名の声となる
現代のブルース
今週のしし座は、凄まじく錯乱した時代の予見者のごとし。あるいは、思考不可能なものを捉え、一体化しようと試みていくような星回り。
もし仮に、そう遠くない将来においてかろうじて生き残った人類がいたとしたら、私たちが生きている現代という時代を振り返って、目の前に差し迫った危機をどこかで感じ取りながらも、ほとんど真剣に取りあおうともしない、凄まじく錯乱した時代だったと言うのではないでしょうか。
すでに宮沢賢治の文学や、宮崎駿の映画、『マトリックス』シリーズなど、人間種の滅びをどこかで予見したようなストーリー作品は数多く見られますが、2020年代に入った現在、人間により生産的な「乾電池」として社会参加するよう促す力は、グローバルエコノミーの渦の中で、大きなものから微細なものまで数え上げればきりがありませんし、みずから進んでコンピューターやAIのようになろうとする者はますます増えていっているように思います。
しかしこのように幾らそれらしいことを述べたとしても、私たちはそうした「ありそうにないこと」を日常的な風景の連続のなかであくまで「消費」的に楽しむばかりであり、例えば聖書のノアの方舟のお話に出てくる大洪水級の天変地異などは決して起こらず、あくまで自然は過去のデータから予想可能な形で徐々に変化するものとたかをくくることしかできないよう、近代的な思考習慣にすっかり支配されてしまっているのだと言えます。
その点、4月9日にしし座から数えて「匿名性の世界」を意味する12番目のかに座で上弦の月を迎えていく今週のあなたならば、いつもより少しだけ地球が「私たち」を通して考えているだろう内容を真剣に受け止めていくことができるはずです。
著名性の罠
ヒューストン・ベイカーJr.の『ブルース、イデオロギー、アフロ・アメリカ文学』では、アメリカ南部のアフリカ系アメリカ人の間から発生した音楽であるブルースを、アフロ・アメリカ文化が形成されるための複雑なプロセスを生みだす「子宮」に喩えています。
母体は、とどまることをしらない注入と産出の源であり、つねに創造的な変容のなかにあって絡み合い交差しあう力によって織り上げられた網の目なのである。アフロ・アメリカ文化におけるブルースは、そうした響きあい振動するネットワークを作りなしているのである
実際、ブルースは厳格に定められた形式がある訳ではなく、形式それ自体が一瞬のうちに生まれ変わっていく生成反復の運動のようなものであり、「黒人という世界の空白(ブラック・ホール)から流れ出す匿名の声」なのだと言えます。さらに、ブルース・シンガーが歌の結び目に独自に即興的につけるコーダ(最終楽章)に仕掛けられている著名性の罠をすり抜けるトリックについて、ベイカーJrは次のような言い方で示してみせるのです。
もしひとがこの歌を歌ったのが誰かと尋ねたなら/それはここにいたXだけれど、もうここには居ないよ、と答えてやりな
その点、今週のしし座もまた、一人称の呪縛に気付いてそれを手放していった先で、真の意味で時代に寄り添った声がみずからの口から流れ始めていくことになるかも知れません。
しし座の今週のキーワード
響きあい振動するネットワークを通して