しし座
ほころんでナンボ
旅の醍醐味
今週のしし座は、『奥の細道』は出羽の国に入ってからよくなるという話のごとし。すなわち、凝り固まった思い込みやプライドを捨てて、ほや~っとしていくような星回り。
文学研究者の芳賀徹は、日本の紀行文学の最高峰とされる松尾芭蕉の『奥の細道』のクライマックスは、通説では松島とか平泉とか、いわゆる名所旧跡とされ、伝統的に和歌に詠みこまれてきた場所にあるとされるのに対し、むしろそういう伝統文化の形式がほころびていく出羽あたりにあるものとして読まれるべきだろう、ということを述べていました。
和歌に詠まれた名所やその痕跡としての歌枕なんてものは、しょせん京都を中心とした都会の貴族文化をモデルとして辺境を切り取ろうとする眼差しの副産物に過ぎず、逆にそういうお高くとまった都会人の固定観念や想念体系が、みちのくに息づく古代的な地の霊のようなものに触れ、破られ、打ち捨てられるにしたがって、目に映ってくるものが生き生きと立ち上がってくるそのリアリティこそ、大切にされるべきだと言う訳です。
このあたりの話は、おそらく今のしし座の人たちの星回りにも通底するのではないでしょうか。つまり、さまざまな記号やしがらみにがんじがらめになった「都会人」である以前に、お前は現に生きているひとりの人間であり、生命体だろう?と。
29日に“自分自身”の星座であるしし座で下弦の月(離脱と解放)を迎えていく今週のあなたもまた、そうしたほころびや破れということを肯定的に受け入れてみるといいでしょう。
獣的な感覚
例えば、芭蕉が奥羽山脈を超え出羽の国(山形)の尾花沢に入ってきたとき、「涼しさを我宿(わがやど)にしてねまる也」という句をつくりましたが、これは別世界への挨拶句のようなのだったのではないかと思います。
涼しさそのもの、フレッシュ・エアーを自分の家にして、その中に住みつき、ゆるやかにくつろぎたいものだなあ、という訳ですが、この「ねまる」というのは、「座る」を意味する尾花沢あたりに残っていた古い言い回しなのだとか。
おそらく、芭蕉はその土地の人に歓迎されて「どうぞねまってけらっしゃい」と言われ、それが面白かったんでしょうね。つまり、そこで芭蕉はまだ雲散霧消していなかった古代の文化に触れ、その感触をそのまま句にしてしまった。そうして自分に取り込んでみせた訳ですが、こういうところが言語芸術の恐ろしいところであり、また素晴らしいところでもあります。
同様に、今週のしし座もまた、そうしたできるだけ土っぽい感触やリアリティを自身の獣的な感覚で取り込んで、実際に自分でも使ってみるといいかも知れません。
しし座の今週のキーワード
フレッシュ・エアーにねまる