しし座
しっくり来ればそれが運命
錯綜と触発のはざま
今週のしし座は、「夕風/絶交/運河/ガレージ/十九の春」(高柳重信)という句のごとし。あるいは、これまでどこかで足りていなかったパズルのピースがはめられていくような星回り。
掲句は詩集『日本海軍・補遺』の中で、海軍で使われていた船の名前をしりとりの形でつなぎながら、多行形式で表わしたもの。
夕ぐれに絶交し、運河沿いをたどって移動してたどり着いたガレージで、十代の終わりを象徴する何かが起きていく―そんなある若者が経験した青春の物語がひとつのフィクションとして浮かんできます。
ただ、「夕風」という駆逐艦が確かに第二次大戦中に存在し、戦後も復員船として大陸から引揚げてくる人たちの輸送に当たったという歴史的事実を鑑みれば、掲句を構成する文字列の並びに多くの人の記憶の断片を見出し、また夕風という軍艦を通して錯綜していった多くの人の運命へと、自然と想いを馳せざるを得ないのではないでしょうか。
いわば、純粋なフィクションと生々しい現実のはざまで掲句はゆらぎ続けているのであり、それゆえにこそ、単なる無機質な文字列としてではなく、多くの人の心の琴線に触れえる生きた言葉としてこちらに働きかけてくるのでしょう。
同様に、5月4日にしし座から数えて「触発」を意味する7番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、繋がるべき記憶や事実に突き当たっていくことになるかも知れません。
離接的偶然に導かれ
俳句であれ小説であれフィクション(虚構)は現実との関係性の中で、つねに早とちりや解釈の取り違えなど、いわゆる「誤配」の可能性を孕んでいますが、人生に必ずしもたった一つの正解などありえないように、読み手にとっての正解はあくまで読み手自身の手によって創り出されなければなりません。
例えば哲学者の九鬼周造は、単なる偶然とは区別して「離接的偶然」ということを言いだしましたが、これはもともと日本語にあった「たまたま」や「ふと」、「はずみ」、「なつかしさ」などをそれらしく言い換えたもので、ここにはある種の日本人特有の運命感覚のようなものが立ち現れているように思います。
無根拠で、必然的でもない自分が、現にいまこうして生きていることもまた、ものの「はずみ」であり、「たまたま」そうであっただけだけれど、そういう偶然を愛そう。そして、これからも「ふと」思い立ったことや、理由もなく「なつかしく」感じたことがあれば、それに身を任そう。それが例え「まちがい」だとしても。
今週のしし座も、どこかでそんな運命愛のようなものが湧いて、これまでしっくり来ていなかったものが腑に落ちてくるかも知れません。
今週のキーワード
運命愛