しし座
くる、きっとくる
外部からの思考の到来
今週のしし座は、「ああ、よかった。ペットボトルのお茶を忘れてきたから、おにぎりがホカホカだわ」という考えのごとし。あるいは、自分でも戸惑ってしまうような確信を抱いていくような星回り。
これは郡司ペギオ幸夫『やってくる』で紹介されていた、著者自身が体験したエピソードに出てきた一言。著者はその日、都内からほど遠い場所に出かけた際、昼食用にとおにぎり弁当とペットボトルのお茶を買って列車に飛び乗ったところ、せっかく買ったお茶をホームに置いてきてしまったことに気づいたそうです。
自責の念にかられながらも、今さらどうしようもないと気持ちを落ちつけ、座席に座っておにぎりを食べることに。ところが、おにぎりを頬張った瞬間、著者の頭に冒頭のような思考が浮かんだのです。
もちろん、お茶を忘れてきたことと、おにぎりがホカホカであることには、何の因果関係もありません。著者自身もそれを結びつけることがおかしいと分かっている。にも関わらず、おかしいという理性の働きとは無関係に、そんな思考がやってきた訳です。
そんな風に、私たちには時おり望んだわけでもない意味をつかんでしまう瞬間があって、27日にしし座から数えて「不気味の谷」を意味する4番目のさそり座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、日頃の常識的な因果関係の枠組み(人間的な意味世界)をひょいと飛び越えて外部からやってくる意味の到来を経験していくことでしょう。
大岡信の「さわる」
さわる。
木目の汁にさわる。
女のはるかな曲線にさわる。
ビルディングの砂に住む乾きにさわる。
色情的な音楽ののどもとにさわる。
さわる。
さわることは見ることか おとこよ。
否。視聴覚メディアの発達した現代において「さわる」ことは通常、「見る」や「聞く」と比べてあまり重要とはされないておらず、あくまでそれらの感覚の‟ついで”に行われる動作とされることがほとんどです(それゆえに、触覚は‟隠れて”使用されがちでもある)。
ところが、この詩ではあえて通常の意味での触覚の対象ではないような、さまざまな対象に「さわる」という言葉を使用していくことで、既存の感覚的常識を異化し、「さわる」という感覚を第一義に近い位置へと転倒させていこうとしている訳です。
また、詩の最後に「おとこよ」とあるのは、細い指を持つ人は触覚においてより敏感であるという発表もされているように(「the Journal of Neuroscience」,2009年)、一般的に女性は男性よりも指が細く、触覚に優れているという前提を踏まえれば、この詩の意図する転倒が男性優位に作られた社会や文脈まで睨んだものであるということが分かってきます。
今週のしし座もまた、どれだけ窮屈な文脈や状況を自分なりに脱却していくことができるかが問われていくのだと言えるかも知れません。
今週のキーワード
大胆な変容に向けて