しし座
治癒的繋がり
前置きをすっ飛ばす
今週のしし座は、「春寒の無礼を別の人が詫びる」(中山奈々)という句のごとし。あるいは、何かのきっかけで一人称がスッと広がっていくような星回り。
世の中の悩みというのは大きく分けて2種類あって、自分でどうにかできる悩みと、自分ではどうすることもできない悩みが存在します。例えばTwitterで偶然見てしまうと嫌な気持ちになるような物事を見ないようにするとか、自分の認知の仕方や選択次第で変えられるものは前者に入り、逆に言えばその他ぜんぶは後者に入るわけです。
家族のことだったり、日々の天候だったり、掲句のように立春を過ぎてもまだまだ寒さが厳しく残っていること(春寒)だったりというのは、人ひとりには手に余る、どうしようもない悩みなので、そこにコミットしようとするのではなくて、リセットしていく他ないはず。
けれど、作者はその「無礼」をあえて詫びる。いや、あえてなどといった堅苦しくって恩着せがましい前置きをすっ飛ばして、「なんかごめんね!」とおそらく本能で詫びているのです。
もちろん、「春寒」の原因が中山奈々という名前を持った個体のせいではないことは百も承知なのですが、どこかぼわんと自己の輪郭がひろがって、あたりの空気や大地、地球にシュンカン的になりかわってしまったのだとも言えます。
12日にしし座から数えて「繋がり」を意味する7番目のみずがめ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで繋がりを持っていなかったような誰か何かとそんな風に瞬時に繋がっていくことがあるかも知れません。
諦めと治癒
今はもう使われていない表現ですが『分裂病者と生きる』(1993年)という本の中で編者の加藤清さんがまだ若い精神科医だった頃のエピソードとして次のような話が語られています。
いわく、壁面に頭を打ちつけて自傷行為をやめない患者を前にして、誰も何もなす術がなくなり、無力感にかられてみな呆然として立ち尽くしていたと。そのとき、加藤さんは突然、病室の隅にあったゴミ箱の中に入って土下座した。すると、それまで誰が何を言おうとしようと自傷行為をやめなかった患者が動きを止めて、加藤さんに注意を向けた。そして、その瞬間から治療行為が進み始めていったというのです。
加藤さんはなぜ、わざわざゴミ箱に入って土下座したのか。あえて言いきるならば、ここにはあらゆるレベルの治療や治癒という現象の秘密が現れているように思いますし、それは今のしし座にとっても重要な指針になってくるでしょう。
加藤さんのしたことは、患者や同僚に対するある種の「超越」行為と言えますが、同時にそこには「自分ではどうにもならない」「救えない」といった患者の苦悩に対する諦めの深さと祈りの切実さがあるがゆえに、権力構造を伴なう操作や圧倒、マウンティングなどとは一線を画すのです。これもまた、新たな繋がりのかたちと言えるのではないでしょうか。
今週のキーワード
we(私たち)がthey(彼ら)になる時