しし座
光の音を捕らえる
ツェランの「糸杉」
今週のしし座は、詩人パウル・ツェランの「絲の太陽たち」という詩行のごとし。あるいは、天の星々の中にではなくあくまで地上の言葉の中にとどまっていこうとするような星回り。
「アウシュビッツの後に詩を書くのは野蛮だ」というアドルノの言葉に対する返答と言われ、またゴッホの凄絶な「星月夜」の絵に着想を得たとも伝えられる「絲の太陽たち」という詩には、次のような詩行が出てきます。
絲の太陽たちが
灰黒色の荒野のうえに、
ひとつの木の
高さの考えが
光の音を捕らえる――
人間たちの
あちら側には まだ歌われるべき歌たちがある
(中村朝子訳)
地上から激しい光の渦巻く夜空へ向かって伸びる糸杉はゴッホ自身の姿ともされていますが、おそらく、この詩の中で糸杉はツェラン自身の「思考」の様相として捉えなおされていたのではないでしょうか。
人間の彼方にある音楽、なお歌われるべき彼方の歌とは、そうであるにも関わらず、やはりこの地上に生きる人間によって聞かれ、またつくり出される歌に他ならないのです。
2月3日23時59分に立春を迎えていく(太陽が水瓶座15度へ移行)今週のしし座のあなたもまた、ツェランのように自分のやるべき仕事のカタチを改めて見出し訴えていくべし。
世阿弥の「花」
能の大成者・世阿弥が著書の中で「花と、感興と、新鮮さと、これら三つは同じことである」と言うとき、それはツェランの糸杉と限りなく近いものだったのではないでしょうか。
世阿弥にとっては、すべてのアートやその表現(=花)は、私たちのこころに新鮮さを呼び起こすものであると同時に、それがそのまま神事となって魂を鎮めてくれるものでなければならず、そうであってこそ人を深いところで感動させることができると考えました。
これは逆に言えば、いくら才能や実力があっても、本人の持ち味が活かされる場所やタイミング、シチュエーションなどの演出を外してしまえば、花とはなりえないということでもあります。
自分の発する言葉や振る舞いが、誰かのこころを鎮める神事となるまで、生命力を練り上げ、そして一気に花咲かせていくこと。今週のしし座に与えられたテーマは、そんな風にも言えるかも知れません。
今週のキーワード
「灰黒色」は「かいこくしょく」と読む