しし座
底抜け底抜け
隣人とは誰か
今週のしし座は、「接近」という身体的行為を担う者としての「隣人」のごとし。あるいは、癒し/癒されることの本質に立ち返っていくような星回り。
聖書の有名な隣人愛の教えは、当時のユダヤ教社会に横行していた人種差別が前提にありましたが、例えば、『ルカ福音書』の「よきサマリア人のたとえ話」の一節には次のようにあります。
「ある律法家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか」イエスが、「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい」とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし、彼は自分を正当化しようとして、「では、わたしの隣人とはだれですか」といった。」
最後の「隣人とは誰か」という戦略的な問いかけは、イエスが実際に被差別民と付き合っていた事実を暴き出すためのものでしたが、それに対してイエスはこの後、追いはぎにあった人を見かけた3人の例を出して「誰が隣人になったと思うか」と問い返しました。
それは、隣人とは「~である」という仕方で固定的に定められるものではなく、各人が「なる」という仕方で実現するべき実践であることを明らかにしているように思います。
29日にしし座から数えて「近い人間関係」を意味する8番目のうお座で約5カ月ぶりに海王星が順行へ戻っていく今週のあなたもまた、みずから接近せずにはいられない関係において癒し/癒されていくことがテーマになっていくでしょう。
小さな我が消えた後
人間は「我」を消滅させまいとして、さまざまなことを行います。銅像を建てる人もいれば、本を遺す人もいるし、名を残すために善行を積んだり、逆に悪名を轟かす人もいる訳ですが、そろいもそろって「我」が消滅してしまうことを恐れている訳です。
死ぬということは決してそう厭なばかりではないけれど、「我」の消滅ということはみんな嫌なんです。ただ、それが嫌というだけで生きていると、今度は自分にどうしても必要なものが何かということが分からなくなっていく。これも緩慢な消滅でしょう。
「隣人になる」とは、そうしたいつの間にか進行していく緩慢な消滅の過程を止めて、いっそ小さな「我」を捨ててみるということでもあるように思います。それで消滅するかというと、案外そこまで行かずに、誰かに救われ、大きな「我」に拾われたりする。この大きな「我」というのは、必ず小さな「我」が消えねば現れない。でも、それが癒されるということであり、隣人愛の本質でしょう。
今週は、何かしらこれまでの小さな「我」の身辺整理をするつもりで過ごしていくこと。
今週のキーワード
あたらしい命を得る