しし座
春のあわれ
盲俳人の懐
今週のしし座は、「尻餅をついて摑みし春の草」(安積素顔)という句のごとし。あるいは、哀れとユーモアとをちょうどよく織り交ぜていくような星回り。
作者は中途失明の盲人であり、もう一人の盲俳人であった緒方句狂としのぎを削りあう中で、目明きに伍してきびしい芸術の世界で堂々と歩を進めた人でもありました。
そんな作者が、「尻餅(しりもち)」をついてひっくり返り、その拍子に草をつかんだのだという。
出来事としてはそれだけの句なのですが、草をつかんだ時の驚き、その困惑した様子、滑稽さの際立つ恰好と、それを目撃してしまった道行く人々のびっくりした表情とが、哀れさとおかしみの感じられる光景として自然と浮かんでくるから不思議です。
目で笑えなくなった盲人たちは、笑いたいときは口に微笑をたたえるものですが、この句には「目明きに馬鹿にされないぞ」という心の奥底の頑なさが感じられません。
おそらく、作者には自身の弱さや人間存在のあわれさを受け入れていけるだけの器の大きさが備わっていたのでしょう。
微笑をつくって人に従い、それで苦笑させられたり、大いに頼ったりする人間臭さをこそみずからの生きる道としたのです。
2月24日(月)にしし座から数えて「盲点」を意味する七つ先のサインであるうお座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、これまで見えていなかった落とし穴やそこにしっかりハマっていた滑稽さに嫌でも直面していくことになるはず。
けれど、真の意味での人生は、そうして初めて始まっていくのだと思います。
滑稽などあり得ない
あるいは、今週のしし座の星回りは、こう言い換えることができるかも知れません。
因果や責任、メリットやデメリットなど、必ずもつれてしまう糸(意図)を繕おうとするのではなく、一度すべての大元に立ち返るだけの‟遊び”をつくり、あらためて糸を通していくべき先や、結びつけるべき対象に焦点を合わせていくこと。
うまくいけば、瞬時に永遠(神の意思)がそこに現われるし、それがどんなに常識外れで滑稽であろうと、天は笑いはしないでしょう。
すべてが途上である限り、「滑稽」などということはあり得ないのだから。哀れとユーモアのちょうどいい着地点というのは、いつだって少しだけ人間の自意識の外に落ち着いていくものなのだと思います。
今週のキーワード
目に見えない糸(意図)を頼る