しし座
意志をもって応答する者
力強きヴィーナス
今週のしし座は、「全人類を罵倒して赤き毛皮行く」(柴田千晶)という句のごとし。すなわち、おのれの弱みを逆手にとることで逆境を平然とはね返していこうとするような星回り。
ボッティチェリの『ヴィーナスの誕生』に描かれた洋上のヴィーナスが、なぜあれほど憂いを含んだ表情を浮かべているのかは、右隣りの岸辺で、彼女に「世俗」の象徴たる赤いマントを今にもかぶせんと待ち構えている季節と秩序の女神ホーラに注目していくとき、おのずと想像できるように思います。
赤は「生命力」の色であると同時に、地に足をつけ世俗にまみれていくだけの「色」や「自我」そのものをも表しており、おのれを殺し周りの空気や期待に応えることこそよしとされる日本社会ではあまり歓迎されない色と言えます。
しかしそれは美と調和を司り、何かと潤滑油的存在として殺伐とした場やどうにもならない矛盾や軋轢への救済策として放り込まれがちなヴィーナスにとって、あきらかに最も不足している資質であり、あるいは本来備えているはずの強さを呼び起こすための‟気付け薬”にもなり得るのではないでしょうか。
そうした文脈をあえて下に敷いてみれば、掲句の「全人類」とはもちろん‟自分”も含んだ全ての人間であり、その意味で掲句に詠まれた作者の態度表明は、弱さへの自覚に基づいた責任(responsibility)の完遂への熱意を表したものとも読める。押しつけられたから仕方なくやるのではなく、自分の意志に基づいて応答する(response)。
5月5日におうし座で新月を迎えていく今週は、そうした勘所をぜひとも見失わないようにしたい。
「遊女」と化す
日本の歴史を振り返ってみたとき、もっとも力強きヴィーナスのイメージに近いのは、中世の遊女でしょう。14世紀以前の日本では、遊女は年貢をおさめることを拒否し、遍歴して生きる職能民として、聖なるもの、すなわち人の力をこえた神仏との結びつきをもった高貴な存在として社会の中で位置づけられていました。
そこでは「好色」もひとつの芸能であり、神仏にささげられた舞や歌と同じようなものとして捉えられていたようです。逆に言えば、神仏とのつながりを断たれた頃から、遊女は男の穢れをうける、穢れた存在(ビッチ)となっていったのだと言えるかも知れません。
つまり、本来の遊女(≠ビッチ)とは、大抵の人が自分を守る為に張りめぐらせている固い「殻」を脱ぎ棄てさせ、エロやロマンを媒介にして、人々を自己解放させていった宗教者でもあった訳です。
今週は、そんな風に自分を遊女化して演じてみるくらいでちょうどのもいいでしょう。
今週のキーワード
赤き毛皮行く