ふたご座
訪れと眼差し
腑に落ちるということ
今週のふたご座は、「はるの月またばや池にうつる迄」(諷竹)という句のごとし。あるいは、自分の行いの意味を、くっきりさせていくような星回り。
もうほどなくすれば春の月が出る。それが少し高くあがれば、目の前の池の水面にもうつるようになる。それまで待とう。待って、池にうつる春の月を見よう、というのが句意だろう。
見方によっては、これは産みの苦しみを喩えているようにも思えてくる。あるいは、自分のやっていることにピンとくるまでの時差と言ったらいいだろうか。
自分では説明のできない充実感や喜びを抱きながら始めた仕事や活動であっても、それがすぐに周囲や世間からの反響と結びつくことはほとんどない。
やったことの反響というのは、たいてい数年は遅れてやってくる。そして、ほとんどの人が反響が返ってくるまでやり続けることができず、途中で投げ出してしまい、結果的に「何も起きなかった」という実感だけが残るのだ。
今週のあなたもまた、周囲からの反響であれ自分の中の実感であれ、やり続けるなかでその訪れを待っていくという姿勢の大切さを見直していくことになるでしょう。
名前のついていない仕事に目を向ける
主婦の家事労働など、いまだ市場経済において産業サービスとして見なされず適切な報酬のもとで売買されていない生産行為を、イリイチは「シャドウ・ワーク」と名付けました。世の中には、まだまだそういう「名前のついていない仕事」がゴロゴロ転がっているのです。
イリイチによれば、学校の中の生徒や病院における患者などもまたシャドウ・ワークの担い手であり、こうした概念を通して見ると、労働や仕事に関する既存のイメージがいかに柔軟性を欠き硬直したものであるかを思い知らされます。
しかし今週のふたご座は、どこかでそうした「シャドウ・ワーク」に光を当てるインスピレーションを宿していくことができるかもしれません。
社会生活を支えるサブシステムが誰からも顧みられることなく老朽化し、放置されていった結果、全体が立ちゆかなくなるということはこれまでも多くの人が経験してきたはず。そうしたリスクにきちんとの目を向けて、まずは自分の中で見方を変えていくこと。
自分の行いの意味や意義というものも、そうした見方の変更を経ることで初めて腑に落ちてくるのだと思います。
今週のキーワード
「シャドウ・ワーク」