
ふたご座
見上げた空を横切っていくもの

蛇と飛行機
今週のふたご座は、『蛇穴を出れば飛行機日和也』(幸田露伴)という句のごとし。あるいは、失われた呼び名を改めて声に発していこうとするような星回り。
冬眠から覚めた穴から出てきた蛇が空を見上げ、上空に機影を見つけて「飛行機日和(びより)だな」とつぶやいた。ついそんな想像をしてしまう一句です。
確かに、長いトンネルを抜けるような心持ちで表に出てきた者の目をとらえるのは、あたりの景色や同じ目線の誰かなどでなく、よく晴れた日の抜けるような青空でしょう。
特に昔の飛行機は今よりずっと低空で飛んでいたので、機体の腹だけでなく、パイロットの顔も見えました。それで、爆音が近づいてくると大人も子供も外に出ていって「凄いなあ」と眺めたものでした。
今となっては飛行機の機影は見えなくなり、歓迎された爆音も騒音扱いとなって、「飛行機日和」なんて爽やかな言葉も使われなくなってしまいました(「フライト日和」という言葉はあるが、こちらは飛行機に乗る側の視点)。
ならば、穴を出て空を見上げた蛇は、何日和と言ったらいいのか。あの、もっとも過激でありながら、それでいてそこはかとなく聖なるものを、いったい何と呼べばいいのでしょうか。
4月18日にふたご座から数えて「知性」を意味する3番目のしし座へと火星が移っていく今週のあなたもまた、自分だったら何日和と言うか、考えながら過ごしてみるといいかも知れません。
他力に触れる
世の中の人はみな功績に支えられて生きています。経営者であれ、絵描きであれ、肉屋であれ、みな生きている以上、何らかの功績を残しているし、その意味でこの世は功績でいっぱいです。
ところが、ヘルダーリンという詩人は「功績は多い。だが人は詩人としてこの世に住んでいる」という詩の一節を残しました。これはつまり、人は実用性や有効性の次元だけでなく、それとは異なる生の次元に触れているじゃないかと、言っているのです。
生活と生存のための社会的地平は水平方向に広がっているものですが、ヘルダーリンが言っているような詩的感性はそこに垂直方向に立ち上がってくるものであり、仏教ではそういう垂直的地平を「他力」と呼びます。
それは人間が自分の力で支配できない次元、人間に対して贈られている次元であり、詩や詩的なものというのはそういう次元に人間を連れていってくれるんですね。そうすると、先の「飛行機」とか「菩薩」というのも単に神々しい存在、聖なるものというだけでなく、そこに向かっていこうとする人間の根源的な在り方の問題ということにもなってくるはず。
今週のふたご座もまた、そういう垂直的な次元に触れているそのところで、ひとりの菩薩、ひとつの飛行機となり切っていくことが隠れたテーマとなっていきそうです。
ふたご座の今週のキーワード
「人は詩人としてこの世に住んでいる」





