ふたご座
夢路であそべ
猫のように暇な生活
今週のふたご座は、学校を辞めて縁側でごろごろしていた漱石のごとし。あるいは、「えらい事を考えようと思って寝ている」生活を実践していこうとするような星回り。
生活するためには何らかの職につかなければなりませんが、かと言ってあんまり無理をして職にかじりついているようなのは、そうそう長くは続かないもの。ましてや、小説であれ俳句であれ絵であれ音楽であれ、自分自身のための愉しみを別に持っている身であれば、どこかで出世や見栄には見切りをつけて、世間の目を逃れるための「隠れみの」を用意する算段をつけなければなりません。
そういうことを考える上で非常に興味深いのが、夏目漱石が40歳の時に行われた「文芸の哲学的基礎」という講演。何やらものものしいタイトルではありますが、これは彼が一切の教職を辞し、朝日新聞社に入社した直後のもので、その胸の内のホンネについて触れたじつに味わい深い一節が出てくるのです。
私なども学校をやめて、縁側にごろごろ昼寝をしていると云って、友達がみんな笑います。――笑うのじゃない、実は羨ましいのかも知れません。――なるほど昼寝は致します。昼寝ばかりではない、朝寝も宵寝も致します。しかし寝ながらにして、えらい理想でも実現する方法を考えたら、二六時中車を飛ばして電車と競争している国家有用の才よりえらいかも知れない。私はただ寝ているのではない、えらい事を考えようと思って寝ているのである。不幸にしてまだ考えつかないだけである。(『文芸の哲学的基礎』)
当時の大学教授の社会的地位の高さと、ジャーナリズムの地位の低さを考えると、これは大決断だった訳ですが、当の本人にとってみれば「えらい事を考えようと思って寝ている」生活こそが最高の生き方だったのであり、「国家有用の才よりえらいかも知れない」という箇所などは、どうも本気で思っていたのではないでしょうか。
いや、自己に忠実に生きるという点では、実際に「はるかにえらい」のです。そして、20日にふたご座から数えて「探求」を意味する9番目のみずがめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、何をしてもよい自由で暇な時間を工面していくことが一つのテーマとなっていくでしょう。
自分をなぐさめる歌
清代の詩人・厲鶚(れいがく)が遺した詩に『晝臥(ひるね)』という作品があります。
貧しい生まれながら苦学して29歳の時に中国の官僚試験である科挙に臨んだものの合格できず、郷里に帰ってきた30歳の頃に作られたもので、冒頭部分は次のよう。
妄心(もうしん)澡(あら)い雪(すす)いで尽(ことごと)く空(くう)ならしめ
長日(ちょうじつ)門を関(とざ)す一枕(いっちん)の中(うち)
これを日本語に書き下すると、以下のようになります。
浮き世の思いを/さっぱりと洗い流して
夏の日ながに門を閉ざし/ひとねむりする
落第した悔しさや断ちがたい未練をみずから慰めている訳ですが、失望して孤独になっている自分を描いた続く箇所はとてもユーモラスです。以下、一海知義『漢詩入門』より書き下しだけ引用してみましょう。
足をつま立てても/ほこりも寄りつかず
頬杖をついてたどる清らかな夢路に/道連れはいらない
そして最後の箇所は、みずからへの慰めの結びの言葉となっています。
ありがたいものだ/夕日はすべてを察するかのように
目覚めるといつも/小窓の東を金色に染めてくれる
こんな風にみずからの苦悩を和らげることができたなら、どんなにかいいでしょうか。今週のふたご座もまた、できるだけ無理をせず自分をよく労わってあげることを大切にしていきたいところです。
ふたご座の今週のキーワード
目を閉じ頬杖をついてひとり愉しく夢路をさまよう