ふたご座
理屈ではないところで
逆説的問答
今週のふたご座は、ヤマギシ会の「特講」のごとし。あるいは、秩序だった「いい子」の頭をいったん混沌の闇の中へと突き落としていこうとするような星回り。
ヤマギシ会は養鶏家の山岸巳代蔵が1953年に発足させ、私有財産の否定と集団での共有をモットーに、山奥の村落で農業・牧畜を基盤にユートピア的な共同生活を送るとする活動体であり、90年代にはマスコミなどに盛んにとりあげられ、「隔離型教団」の典型ないしカルトとして強い批判を受けたことで知られています(現在は会の規則や処置も以前より緩和・改善され、エコ・ヴィレッジの先駆として注目されている)。
このヤマギシ会には、会の理念や思想を体験的に知るために参加者全員が車座になってひとつのテーマを深く議論する「特別講習研鑽会」という1週間の合宿形式の講座があり(これを受講すると会員となれる)、その中では「人を殺せますか」という問いが出ることがあるのだそうです。
受講者の方は、当然「殺せない」と答える訳ですが、それでも会の係の方が「それでも人を殺せますか」と問い続けてくる。そうして、受講者が「殺せます」と答えるまで延々と問答を続けるのです。そのことについて、宗教学者の島田裕已は実際にヤマギシ会の会員とオウム事件が起きたあとに対話した経験から次のように述べてしました。
オウムの信者は「いい子」で、自分たちが人を殺せるとは全然思っていない。実は、殺せないと思っているほうが怖い。今の日本人全体がそうだと思いますが、自分が人を殺す立場には絶対にならないと思っている。(山折哲雄『悪と日本人』)
逆に、ヤマギシ会の人間からすれば、自分は人を殺せると思っている。そして、だからこそ殺さないんだということが、心の奥深くに沁みわたっている訳ですね。あるいは、あることを心の奥深くに刻むということは、そういう極限状態を経なければ決して起き得ないのだということを、ヤマギシ会は理屈ではない所でよく分かっているのかも知れません。
7月21日にふたご座から数えて「ご破産」を意味する8番目のやぎ座で満月を形成していく今週のあなたもまた、ある種の常識や固定観念がひっくり返ったり、ひっくり返したりといった機縁に恵まれていきやすいでしょう。
やわらかな仏の光
現代は「死に甲斐喪失の時代」と言えます。過去には、日本社会にもおおやけに認められた「大義」というものがあり、たとえそれが誰かにねつ造されたまやかしの死に甲斐であったとしても、「覚悟をもって殺す」/「喜んで死ぬ」ということがありましたし、それは同時に、そういう風に生きるべしという倫理観でもあったのです。しかし、今日においてはそうした倫理観は失われました。
この世にある限り果てしなく業を重ね、救いのない世界を生きていかねばならない。それどころか、業によって発生する因果応報のおよぶ先は、この世にとどまらず、あの世においても次の生まれ変わり先でも未来永劫、果てしなく続いていく。それが、あなたがこの世に生まれてきたということであり、苦界を生きるということの恐ろしさでもあります。
それでも、おのれが人間であることの謎、そのおぞましさを日々汲みとり、全身の毛穴から思い知っていくその先にこそ、霊魂の一番深い部分での地殻変動のごとき、やわらかな仏の光のようなものが差してくるのではないか。
今週のふたご座もまた、そんな命宿すものの凄絶とひとかけらの救いのようなものを、臓腑を通して直接掴んでいくことになるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
人間であることの謎