ふたご座
虫けらのうめき
光の訪れ
今週のふたご座は、『点滴の金剛の粒光り夏』(石塚友二)という句のごとし。あるいは、光と影のあいだで反転していく精神の流れを感じていくような星回り。
入院生活の多くなった晩年の作。どんなに頑強な肉体にも、いつかは必ず衰え弱りゆく時がやってくる。多くの人はそれがいつかいつかと過度に恐れたり、いざやってきても落ちこんだまま浮上することなく終わってしまったりする傾向にありますが、掲句を見る限り作者に関してはそうした典型的なパターンを免れたのかも知れません。
まず病床に横たわって、自分の腕につながれているチューブに注入されている点滴の一滴一滴を見つめて、これを「金剛の粒(つぶ)」と呼んでいる。と同時に、この粒の「光」に「夏」の到来を強く感じとっている。この粒の輝きとは、そのまま作者の精神の根底に横たわる詩精神の並々ならぬ輝きであり、私たちは身近な夏景色をとおして、わずかながらでもその作者の詩心の高まりを共鳴していくことができるはず。
一見すると無造作で、何気ないような句ではありますが、生が沈黙し、私たちがみずからの孤独に聴き入っていく瞬間というのは、こうしたふとしたタイミングに訪れるのではないでしょうか。
その意味で、「あらゆる思想は、天使たちに踏みつけられた一匹の虫けらのうめきに似ている」というシオランの書きつけた断章とも、どこかで共振していくよう(『思想の黄昏』)。
6月29日にふたご座から数えて「巡り巡ってくるもの」を意味する11番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、思考なき原初の霊感を胸の奥深くで受け止めていくことができるかも知れません。
詩人の運命
古代の自然哲学者や石塚友二のような詩人の目をもった人間の精神は、この世を光速で突き抜け天界や冥界に自在に遊びつつも、同時にどこまでも冷静で客観的であるものです。
というより、そうでなければ、やることなすことすべてが中途半端に見えてしまう呪いを、みずから負っていくことこそ彼らの仕事なのではないかと思います。
世間の無理解など何するものぞ。否、むしろ周囲からの無理解や怪訝なまなざしを浴びてこそ、詩人の目は養われる。
なぜなら人間とは、必然的に自分自身と敵対するものであり、もし中途半端な周囲の受容や願いの成就で自身を冷徹に裁きの対象にしていくことを妨げられれば、人は自分のことを魂をもった人間だとは認識できないし、従って真の意味で自分を愛することもできないでしょう。
決別、拒絶、事故、悲劇、不幸、病い、狂気、エロス、聖性、実存、非合理な欲求。
今週のふたご座もまた、自分の中にそれらを見出すにつれ、その目に詩人の感性を宿し、選び取られた孤立のなかで、より大いなる自由を手にしていく感覚を掴んでいくことでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
思想の黄昏