ふたご座
ねえ素直王(ムーミン)
ただ澄んだ心だけが
今週のふたご座は、『足音がかたまつてくるねじやかかな』(阿波野青畝)という句のごとし。あるいは、スンと心が澄んでいく感じを大切にしていこうとするような星回り。
「ねじやか」は「寝釈迦」で、本来は釈迦の入滅をしのぶための涅槃会を念頭に置いた春の季語なのですが、ここではそういう宗教的な行事に参加するとかそれを詠むのだいうレベルを超えて、作者と寝釈迦の心とが一体のものとなって詠い出されています。
すなわち、涅槃詣に人々がやってくるその足音が、どこからか響き伝わって来た。しかも、それが次第に重なり、かたまってくるのを自分は聞いているのだと。
それは古い仏像のもつ独特の味わいだったり、釈迦が最後に至った冴え切った心の在り様ということが、作者が目指した俳人としての到達点であり、実際につかみかけていた境地でもあったのかも知れません。
それは例えば、実際に悟ったとか、高いレベルにいたって立派な人間になったということではなく、ただ澄んだ心だけが世界に触れて、外からの響きをただ受け取っていくだけで、それがおのずと句になっているというものであったように思います。
5月1日にふたご座から数えて「追求していくべきもの」を意味する9番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の心の切っ先がどこへ向かっているのかを、改めて確かめていくべし。
習得すべき技術としての「素直さ」
澄んだ心ということを、別の言葉に言い換えれば「素直さ」になります。もちろん、一般的には、「素直である」とは飾り気のない、ありのままの素朴さを言い、幼く従順であることとセットのように思われますが、辞書で調べると、他にも「技芸などに癖がない」という意味が出てきます。
これは私たちがどんな仕事であれ多少なりともキャリアを重ねていくと、経験値が増えていくと同時に、どうしても癖がついてきて、「その人なりの味が出てくる」と言えば耳障りはいいですが、当初の柔軟性が失われるだけでなく、仕事や職業、特定の役割そのものに執着が湧いてくることの裏返しなのだとも言えます。
その意味で、「素直さ」とは子ども時代よりも大人になってから改めて重要性が増してくる特性であり、ある種の“技術”として習得し習熟していくべきものなのだとも考えられるのではないでしょうか。
いま、自分は何かに夢中になれているか、それによって自分はしあわせか。そういうことに意識的でいられれば、自然と特定の「職業」や「役割」にしがみつくこともなくなり、拒絶するにしてもケレン味はなくなっていくはず。
今週のふたご座は、そもそも自分をしあわせにすることができるのならば、やっている事や職業は何であってもいいのだという柔軟性を改めて取り戻していくことがテーマとなっていくでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
「技芸などに癖がない」状態としての素直さ