ふたご座
考えた訳じゃない、稲妻が走っただけ
ほとばしる野心
今週のふたご座は、「それをはじめた者がまた最もよくそれを仕上げうる者であるような仕事が世にあるとすれば、それこそ私のやっている仕事なのである。」という一節のごとし。すなわち、自分のやらんとしている仕事について明確に言語化していくような星回り。
これは「われ思う、ゆえにわれ在り」で知られる17世紀フランスの哲学者デカルトが『方法序説』に書いた一節。「石の上にも三年」という言葉がもはや時代遅れになりつつある現代からすれば、羨ましさを通り越して圧倒されるような凄味があります。
デカルトがここで言っている「仕事」というのは学問の改造でしたが、同時に彼の野心でもありました。それは、この文章を学者仲間だけで通用するラテン語ではなく、普通の一般民衆が普段使っているフランス語で書いたという試みにもよく表れています。
その後フランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きいとも言われているのですから、彼の試みは成功したのだと言えるでしょう。
もちろん、自分以外の人には不可能な仕事というのはそうそうあるものではありません。むしろ、別に自分じゃなくたっていいんじゃないかという思いが、職場で一度もよぎったことのない人などいないはずですし、そうした虚しさ、寂しさというのは、思いのほか現代人の気分に深く染み込んでいるように思います。
とはいえ、デカルトだって学校を卒業してすぐにそうした「仕事」に取り掛かれた訳ではなく、20年以上にわたる遍歴や隠棲生活を経て、40代になってやっと『方法序説』を書き上げ、発表できたのです。
3月10日にふたご座から数えて「使命」を意味する10番目のうお座で新月を迎えていくところから始まる今週のあなたもまた、そうしたデカルトの姿を追うように、他ならぬ自分がはじめ、自分の手で仕上げられるような仕事とは何かということを、改めて考えていくべし。
「稲妻が走る」
鉄血宰相として知られ、19世紀ドイツ一帯をまとめて統一を実現させたビスマルクには非常に興味深いエピソードがあり、それは家族との会話として記録された次のような言葉の中に端的に表れています。
私はしばしば素早く強固な決断をしなければならない立場になったが、いつも私の中のもう一人の男が決断した。たいてい私はすぐあとによく考えて不安になったものだ。私は何度も喜んで引き返したかった。だが、決断はなされてしまったのだ! そして今日、思い出してみれば、自分の人生における最良の決断は私の中のもう一人の男がしたものだったことを、たぶん認めねばならない(互盛央、『エスの系譜』)
なんと、鉄血宰相としての重要な判断は、自分が考えて決断したのではなく、「自分の中のもう一人の男」がしたと言っているのです。つまり、ビスマルクにおいては、「私が考えるich denke」という時の“考え”とは自分が意図的に案出したものではなくて、まるで「稲妻が走るes blitzt」ように自然と思い浮かび、時にはその内容に自分自身でも戸惑ってしまうような代物だったという訳です。
今週のふたご座もまた、みずからの決断は「私ich」ではなく「それes」がしたのだと思えるくらいの、大それた言語化を試みていきたいところです。
ふたご座の今週のキーワード
だが、決断はなされてしまったのだ!