ふたご座
註解と挽回
地層検分
今週のふたご座は、時には歩みを止めて振り返りを。あるいは、みずからの前半生ないし若年期に改めて「註釈」を加えていこうとするような星回り。
幕末から維新にかけての激動期を舞台に、剣の道ひとつに賭けた武士の人生の哀歓と誇りを描いた中山義秀の時代小説『碑(いしぶみ)・テニヤンの末日』において、中山は「後半生は、彼のむちゃな前半生に対する一種の註解みたいなもの」だったと表現してみせました。
一人の生涯を2つに分けて、両者の関連を「註解」という作業になぞらえてみせた訳です。当時は武士は激動の時代の変化にうまく適応できた者と適応できなかったものの二極化が強まった時代でもありましたが、ここでいう「註釈」とは、信念を貫く勇気というより、信念を曲げる勇気とセットでついてまわり続けるもののように思えます。
そして、時代の変化の激しさという意味では、現代の私たちもそうそう負けてはいないでしょう。昭和の時代には当たり前だった終身雇用制度はもはや砂上の楼閣のごとき頼りないものとなり、数年ごとに転職を重ねたり、フリーランスに転身するのも当たり前のこととなりつつあります。
しかし、一方で過去のキャリアの振り返りや総括がおろそかなまま、次へ次へ先へ先へとついつい生き急いでしまっている人も多いのではないでしょうか。
その意味で、2月3日にふたご座から数えて「反省と調整」を意味する6番目のさそり座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、これまでの転身や転職の意味や本質について、ここで改めて掘り下げ、「註釈」を加えていくことがテーマになっていきそうです。
世阿弥のキャリア観
歳をとることは可能性が限られていくことを意味し、できることや選択の自由も年々失われていく-。「35歳転職限界説」などもそうですが、多くの人はややもすると歳をとることを可能性の“縮減”と考えがちです。
確かに身体の機能そのものが衰えることは事実ですが、一方で能の大成者・世阿弥は、少年の愛らしさが消え、青年の若さが消え、壮年の体力が消え、といった喪失のたびに、それと引き換えに何か新しいものを獲得する試練としての「初心」を迎えていくのだと繰り返し述べていました。
例えば、『風姿花伝』には「年来の稽古の程は、嫌いのけつる非風の手を、是風に少し交じうる事あり」という一節がありますが、これは若年から老年にいたるまで積んできた稽古のなかには、「嫌いのけつる非風の手」、つまりこれまで苦手とし避けてきたようなこと、やるべきでないとされてきたことを、「是風」つまり得意にしてきたことや、好んでやってきたことの中に取り入れて交ぜてきた、という意味。
逆に言えば、若年期に抱いたコンプレックスや苦手としていたことは、みずからに課した呪縛が詰まっているのであって、後半生というのはそこから自由になっていくためのプロセスでもあるのかも知れません。今週のふたご座は、ひとつそんな視点から初心に返ってみてはいかがでしょうか。
ふたご座の今週のキーワード
非風の手を是風に少し交じうる