ふたご座
耳と口
未熟さの現われ
今週のふたご座は、『襟巻や畜類に似て人の耳』(西島麦南)という句のごとし。あるいは、いつも以上に自身のなかの動物性に目が向いていくような星回り。
「畜類に似て」という表現のなまなましさが、妙にあとに残る一句。襟巻に目が行ったついでに何気なく視界に入った誰かの耳にふと違和感を覚えたのでしょう。確かに、人の顔まわりをじっと眺めていると、耳だけが人間の中で唯一濃厚に動物性を残したものではないかと思えてきます。
目や鼻などと異なり、造形もひどく入り組んでいて、どうしてこんな中途半端な形で落ち着いてしまったのかと不思議になってくる。
逆に言えば、人間の姿かたちの中で耳だけは、ネズミの耳ともネコの耳ともあまり代わりなく、万物の霊長などと得意になっている人間の未熟さや愚かさ、滑稽さなどがそこに凝縮して現れているように感じられてくる。
同時に、だからこそ耳は人間の体の部位のなかでも特別に愛おしくもある。耳の形に性を観ようとするのも、考えてみれば当然のことなのかも知れません。
13日にふたご座から数えて「美学」を意味する6番目のさそり座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、洗練されきっていないからこそ感じられる魅力ということにおのずと意識が向いていきやすいはず。
山姥(やまんば)の努力のあと
『食わず女房』という昔話があります。人に何もあげたくない欲たがりの男が、飯を食わぬ女房を欲しがっていたところ、女が訪ねてきて自分は飯を食わずによく働くから女房にしてくれといい、男は女房にします。
ただ、自分が食べた以上に米が減ることを不思議に思った男が隠れて女房をのぞいてみると、おもむろに髪の毛をほどいた女房の頭から大きな口があらわれて、途方もない大食いの鬼女に変化したのです。男はすっかり度肝を抜かれ、何食わぬ顔をして帰宅してから離縁を告げると、今度は女房が男を食おうとして、男は命からがら逃げだす、というのが主なあらすじ。
さて、この山姥の昔話はいったい何を意味するのか。歌人で文芸評論家の馬場あき子は『鬼の研究』のなかで、「おそらくは人との交わりを求めて飯を食わぬという過酷な条件に堪えて」山姥があえて異類である人間の男に嫁いできたことに着目し、「頭頂に口があったという荒唐無稽な発想は、民話的ニュアンスのなかで、山母が常人との交わりの叶わぬ世界の人であることを匂わせたものであろう。むしろ山母が常人との交わりを求めるために果たした努力のあとが語られていて哀れである」と述べていました。
つまり、「食わず女房」は最初から男を喰らうことを狙っていたのではなく、男が盗み見て自分の正体に気づいたときに、初めて男を食べる対象に変換させたのであり、それはあまりに身勝手な要求を突きつける男/人間を相対化する絶対的な他者としての女/自然の象徴だったのかも知れません。
今週のふたご座もまた、誰か何かを通して無理や無茶と真っ向からぶつかりあっていくことになるでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
日の光の当たらない闇の側に立つ