ふたご座
神々の遊びにまざる
或る夫妻のやりとり
今週のふたご座は、「人生は近くで見ると悲劇だが遠くから見れば喜劇である」というチャップリンの言葉のごとし。あるいは、宇宙に<笑い>を取り戻していくような星回り。
科学と宗教の対立や乖離がますます大きくなっているように感じる現代の状況について、20世紀を代表する哲学者であったホワイトヘッドは、<笑い>のない宗教は本当の宗教とは言えないと力説した上で、こう述べていました。
儀式のもつ緊張は、それが不自然であるために、とても耐えがたいものになります。だから、ご存知のように、アテナイ人は悲劇のあとにいつもサチュロス(喜劇)をしたんです(『ホワイトヘッドの対話』)
彼は<笑い>こそが生活全体のうちで生のバランスを回復する上で不可欠なものだと考えており、それを示すかのように、次のようなやりとりも披露しています。
ホワイドヘッドの「『自省録』を書いたマルクス・アウレリウスは書物を遺すよりローマ皇帝としての務めをよりよく果たすために時間を使うべきだった」という発言に、夫人は「それは哲学者としての縄張り意識のせいじゃない?」というツッコミに入れるのですが、それに対しホワイドヘッドは「そんなものはないよ、もし一生で何度も違った生を送れるのなら、自分は大きなデパートの社長になりたい」などと言って夫人を呆れさせるのです。
おそらく、こうしたユーモアこそ彼の構想した有機的でリズミカルな創造過程を重視するコスモロジー(宇宙論)の根底にあるものであり、そこから「生き生きしていない観念による教育は、無用であるだけではありません。なによりも有害なのです」といった社会批評も生まれてきたのではないでしょうか。
9月29日にふたご座から数えて「弾み」を意味する11番目のおひつじ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、自身の直面している状況や人生の「未解決性」にけりをつけるべく、何よりもまずどうしたら<笑い>を取り戻せるかを大切にしていきたいところです。
純粋直感での選択はどこか笑える
これまで地球には無数の人々が生まれてきました。そしてあなたもまた、そんな無数に生まれてきた人間のひとりであり、あなたの両親や、彼らの親がひとりでも欠けていれば、あなたは存在しなかった訳です。
人類の過去史が、そうして無数に繰り返されてきた生命や縁の連鎖であり、自分もまたそうしたパターンの一つだとして。無限にも似た気の遠くなるほどの連鎖の起こりを考えていったとき、その最初の最初は「一」つのエネルギー体のようなものだったとして、その次は世界中の神話でも語られるように必ず夫婦のような「ツガイ」の形をとります。
悲劇と喜劇もツガイであり、ボケとツッコミもツガイです。そのことを考えると、やはり恋愛感情というものも、たんに子孫繁栄のために生物にプログラムされた錯覚だなどとは、とても思えません。つまり、「(絶対に)この相手でなければならない」という確信というのは合理的推論を超えた、きわめてナチュラルなものとしてあり得るのであり、それは往々にして「笑い」を引き起こすものでもあるはず。
少しスケールを広げすぎてしまったかもしれませんが、今週のふたご座は、そんな風に自分もまたその一部として組み込まれている自然を、少しだけお手伝いさせてもらうくらいのつもりで過ごしてみると、ちょうどいいのかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
なんなん?