ふたご座
悲しみは果てしなく
感情の射程
今週のふたご座は、『十万年のちを思へばただ月光』(正木ゆう子)という句のごとし。あるいは、いつも傍らにあり続ける感情がどんなものなのか再確認していくような星回り。
十万年のちに人類はいるか。この壮大な問いに、作者は「ただ月光」と答える。どことなく滅びの予感を暗示させる答えですが、決してそれだけではありません。
「月光」は、仏教でいえば仏の智慧の比喩であり、たとえ人類が現在のように愚かしい行いや選択を重ねに重ね、ついには滅亡せざるを得なくなったとしても、そこにのみ仏の悲しみを宿したまなざしは届くだろう、と言っているのでしょう。
もしまなざしに宿っていたのが、苛立ちや怒りといった感情であれば、「十万年」という時の経過にはとうてい耐えられないでしょうし、作者もここまで言わなかったはず。
怒りの感情は鋭く短く発露していく傾向があるのに対し、悲しみはいったんはうすまったり消えてしまったように見えたとしても、時が経っても不意に湧いてきたり、いつもどこか背中合わせに身近にあり続けるものなのではないでしょうか。
9月7日に自分自身の星座であるふたご座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、そんな無意識のうちに長続きしてしまっている感情に、改めて矛先を与えていくことがテーマとなっていきそうです。
月を見る者
秋が深まるにつれて、月もまたますます寂しいもの、冷えたもの、孤立的なものとしての趣きを深めていきます。
例えば、『2001年宇宙の旅』のファースト・シーンに猿の惑星みたいな猿人たちが出てきますが、あれを原作者のアーサー・C・クラークは「月を見る者」と呼んでいました。おそらく、クラークは文明の起源を太陽ではなく月に置いていたのでしょう。
そもそも、太古、月は今日よりもずっと地球の近くにありました。だいたい、今の3分の1くらい近かったそうですから、現在の感覚からすれば、月は異常なくらい大きかった。それが少しずつ少しずつ遠のいて、今の距離感にある訳です。
そういう意味では、秋という季節は、そんな月が着実に遠のきつつあるという実感や、仏のまなざしが見つめる遠い未来へ人類が近づきつつあるという現実を、改めて自然に感じさせてくれる時期なのだと言えるのではないでしょうか。
今週のふたご座もまた、これまで母なるもの(=月)から隔たり続けてきたし、いつかはそのまなざしが届かないところまで離れていくという、人類のビッグヒストリーにどこかしら感応していくところがあるはず。
ふたご座の今週のキーワード
悲しみの分母