ふたご座
哲学者とマイナー詩人
無意識とむすびついた知
今週のふたご座は、広場に行って問答を始めたソクラテスのごとし。あるいは、そんなことはありえないと否定しようとしても否定し得ない自分の一部に身を委ねていくような星回り。
広場で相手をつかまえては日がな一日問答を繰り返すという、今でいう迷惑系Youtuberのような真似をはじめたソクラテスは、結果的にその行為の反響が大きすぎたために、青少年の心を乱したと糾弾され、刑死すると同時に「哲学者」の祖となっていった訳ですが、そもそも彼はなぜ突如としてそんな奇怪な行動に出たのでしょうか。
たとえばヘーゲルは、ソクラテスをそうした決断へと突き動かしたとされるダイモン(神霊、精霊)は「無意識」だと言えるのではないかと考え、次のように述べていました。
主体の内面がみずから知り決断しているのですが、この内容がソクラテスではなお得意な形式をとっている。精霊というのは、やはり、無意識の、外的な、決断主体で、にもかかわらず主観的なものです。精霊はソクラテス自身ではなく、ソクラテスの思いや信念でもなく、無意識の存在で、ソクラテスはそれにかりたてられています。同時に、神託は敵的なものではなく、彼の神託です。それは、無意識とむすびついた知という形態をとるもので、――とりわけ催眠状態によくあらわれる知です。(長谷川宏訳、『哲学史講義 上巻』)
難しい言い方をしていますが、起こっている出来事としては、私たちが死にそうになったときや、病気になったとき、時に正常な知性にはまったく見えなかったつながりが見えることがある、というのとほとんど同じだと言っているわけです。
7月18日にふたご座から数えて「実存」を意味する2番目のかに座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、みずからの努力と省察によってではない形で、自己決定していくことを自身に許可していくことがテーマとなっていくでしょう。
「マイナー詩人」の系譜
20世紀を代表する大作家ボルヘスが編んだ世界文学アンソロジー集『バベルの図書館』の、イギリスの小説家アーサー・マッケンについて書かれた文章に次のような箇所があります。
歴史の長い、汲めども尽きぬイギリス文学において、アーサー・マッケンはひとりのマイナー詩人である。急いで指摘しておくと、「マイナー」「詩人」なる二語をたてまつったからといって、けっして彼を軽視しようとするものではない。私は今彼を詩人と呼んだが、そのわけは、苦心の散文で書かれた彼の作品は、詩作品のみがもつあの緊張と孤独を湛えているからである。また、マイナーと呼んだわけは、マイナーな詩とは種々のジャンルの一つであって、決して下位のジャンルというものではないと考えるからである。それが表現している音域はあまり広くはないが、その口調はつねにより親密なものだ。
この記述に従えば、他ならぬボルヘス自身もまたマイナー詩人と言っていいでしょう。先に大作家と書いたものの、彼がノーベル賞をもらえなかったのは、短編小説というマイナーなジャンルにしか手を染めなかったことも大きかったであろうし、また夢、分身、虎、ナイフ、迷宮などの、ごく限られたテーマを一生涯倦(あぐ)むことなく繰り返し取り上げ続けたその「表現している音域」もまたけっして広いとは言えないものでした。
彼らはいずれも、先のソクラテスにも通じる、ある種の無意識的な知やそれによる自己決定によって、大衆的人気や分かりやすい成功とは別角度の方向に自身の歩みを繰り出してきたのです。同様に、今週のふたご座もまた、鋭く狭く深くなにかを突いていくべし。
ふたご座の今週のキーワード
「それが表現している音域はあまり広くはないが、その口調はつねにより親密なものだ。」