ふたご座
慣性にあらがう
人を愛しうるまで本はつづく
今週のふたご座は、チェーホフ作品特有の「未完の味」の追求。あるいは、みずからの人生を、簡単には解きえない謎として、その度合いを深めていこうとするような星回り。
老フランス人作家ロジェ・グルニエによるロシアの文豪チェーホフの評伝『チェーホフの感じ』は、ある時はほんの数行で終わるほど短い断章ばかりで編まれた一風変わった構成なのですが、読み進めるうちにそれは著者が投げかける「チェーホフは人間を愛していたのか?」というテーマの重苦しさから読者を少しでも解放するための工夫だったのだということが次第に分かってくるように出来ているのです。
例えば、『ワーニャ伯父さん』のなかで作者を代弁する医師アーストロフは、献身的に伝染病の治療に当たり、手術をおこない、休む暇なく方々をかけ回っていたにも関わらず、その口癖は「私は人間を愛していない」だったとグルニエは指摘した上で、女性との交際などで支離滅裂だったチェーホフ本人について、「とにかく言えることは、ギロチンの刃のように鋭くあろうとする高徳の士よりも、かずかずの弱みを抱えた人間の側につく」のが彼だったし、作家というのはそれくらいでちょうどいいのだと言います。
また、チェーホフの小説や劇(例えば日本で有名な『かもめ』等)が、筋がなく、登場人物に共感しにくい、と当初はあまり理解されなかった点についても、グルニエは、たぶん、人生に似ているからだと解釈しつつ、登場人物が「ほんのちょっとした端役でも」、何らかの生きる不幸を背負わされている点に着目し、次のように述べています。
(そのため)各瞬間が失敗であるように見える。そしてそうした瞬間の連続の最後に残るのは<果たされなかった>という印象である。この未完の味こそが真のテーマなのだ。
12日にふたご座から数えて「哲学」を意味する9番目のみずがめ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、本書の構成や着目点、指摘に通底するような軽やかさ、余韻をいかに自身の活動にもたらせるかということがテーマとなっていくでしょう。
本と付き合う3つの態度
外山滋比古は名著『知的創造のヒント』の中で、本との付き合いは人間同士の付き合いと似ていて、はじめは仲良くしていてもやがて意見が合わなくなったり互いの期待に沿わなくなって別れ別れになるものとしつつも、そこには大きく3つの道があると述べています。
第一は、どんなにおもしろい本でも必ずどこかに不満が起きるところがあるので、そこを押し広げていって批判や批評を展開するという否定的創造の道。しかしこれはどこか哀れな気がするとも吐露しています。第二はその逆で、すぐれた教科書などを読むときのように、どこまでも信用し、言われるがままに付いていくやり方。しかしこれも受容一辺倒が固定化してしまうと、本を読むというより“本に読まれる”ようになってしまう。
その点、第三は本がおもしろくなってきたところで、あえてその本と別れるのだそう。もちろん、それでは十分な知識を本からインストールすることはできません。ただその代わり、自然に新しい考えを持つことは可能だと言います。
これは本を読むにも慣性が働いており、読み切らないで、おもしろくなりそうなところで、つまりスピードが出てきたところで、そこに生じる慣性を利用して自分の考えを浮かびかがらせようとすることに主眼があるのだそうで、こういう本の読み方を自覚的に行うにはかなりの自制心や明確な目的意識が必要なように思います。
その意味で今週のふたご座もまた、本であれ人間関係であれ、「どうしたら感謝をもって関わりを終えられるか」ということを念頭に置いてみるといいかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
終わり良ければすべて良し、あるいはその逆