ふたご座
あべこべの道行き
最後の吐息
今週のふたご座は、「ぼろぼろ」というオノマトペのごとし。あるいは、決定的に何かが死んで終わっていく時代と、自分なりの仕方で居合わせていこうとするような星回り。
現代というのは多くの人々が自壊していく時代と言えるのではないでしょうか。つまり、高所から突き落とされたり、すぐに病気で命が失われたりする訳でもなければ、唐突に致命傷を負わされたり、過酷な環境で命を削られてゆくというのでもない。
単に、生というものがそれを決定づける構造というものを失って、日々が単なる事実の集積に変わり、支えを失い、内部と外部の差異も消えて、その身を支えられなくなってしまったように思います。そうして、「現実」の対義語が「理想」から「虚構」へ変わり、やがて「不可能性」という言葉でしか表せなくなってしまった末に、私たちは「現実」に立ち向かっていくための気概さえ持てなくなってきてしまった……。
「ぼろぼろ」というオノマトペには、そんな刀折れ矢尽き果てるどころか、行使できるだけの手段や選択肢さえほとんどなくなって、「絶望」がデフォルトになったところでやっと口元をわずかに動かして出す、吐息のごとき声色が似つかわしいはず。
人が往生する時も、最後はふーっと息を吐いて死んでいくと言いますが、4月13日にふたご座から数えて「小さな死」を意味する8番目のやぎ座で下弦の月を迎えていく今週のあなたもまた、改めてそうした時代精神と不思議と同期していくことになるかも知れません。
死から生にすすむ
ここで思い出されるのは、岸田衿子の『アランブラ宮の壁の』という詩の一節。スペインの古都グラナダにある13世紀に建てられたイスラム人の王様の宮殿は、整然とした均衡美を残したまま鎮まりかえっているのですが、詩人の岸田衿子はひとりであちらこちらに出たり入ったりして迷った経験を次のような詩にしているのです。
アランブラ宮の壁の/いりくんだつるくさのように
わたしは迷うことが好きだ
出口から入って入り口をさがすことも
おそらく、真ん中の一節を言いたいがための枕言葉としてアランブラ宮のつるくさ模様は呼び出された。そして、出口を「死」、入り口を「誕生」と考えれば、作者は死から逆に生のほうに進むことだってあるじゃないか、と言いたいのでしょう。または、そういう風にしか生きられない自分のあまのじゃくぶりを、どこか突き放した視点から見ているのかも知れません。
その意味で、今週のふたご座もまた、そんな風にけっして小器用には生きられない自分を、虚実の虚の方角から見つめ直してみるべし。
ふたご座の今週のキーワード
裏にまわる