ふたご座
苦の記憶を汲んでいく
偉大なる人間苦
今週のふたご座は、柳田國男の「物深い」という表現のごとし。あるいは、近代化の背後で社会に刻まれ、埋め込まれてきた記憶を改めてすくいとっていこうとするような星回り。
国内の山村にして遠野よりさらに物深き所にはまた無数の山神山人の伝説あるべし。願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。
この序文の一節で有名な『遠野物語』(1910)は、日本民俗学の父である柳田國男の業績の出発点に位置づけられるもので、明治以降の急速な近代化の中で失われつつあった様々な民間伝承を伝える物語に触れたことで、実際に多くの人に衝撃を与えた一方で、どうもその背景にある真実には依然として人びとの意識は集まらなかったようです。というのも、『遠野物語』の16年後に刊行された『山の人生』には、同じ「物深い」という言葉を用いて、次のように書かれていたのです。
我々が空想で描いて見る世界よりも、隠れた現実の方が遥かに物深い。また我々をして考えしめる。これは今自分の説こうとする問題と直接の関係はないのだが、こんな機会でないと思い出すこともなく、また何びとも耳を貸そうとはしまいから、序文の代りに書き残して置くのである。
ここで「隠れた現実」とは、例えば世間がひどく不景気だった明治中頃の美濃の山中で、炭焼きを生業にしていた五十男が、あまりの貧しさに子供2人がすすんで研いだまさかりで、思い余ってそのまま斬り殺してしまった話だったり、親子3人の心中事件でひとりだけ生き残ってしまった女の運命をめぐるものだったり。いずれも柳田は「ただ一度、この一見書類で読んで見たことがある」程度だったそうですが、それを「あの偉大なる人間苦の記録」と呼びました。
同様に、7日にふたご座から数えて「積み重ねれてきた記憶」を意味する4番目のおとめ座で満月を迎えていく今週のあなたもまた、そもそもみずからの現実認識やそこから自然発生してくる営みも「物深い」ものでなければならないのだという思いが、より一層強くなっていくのではないでしょうか。
反語としての「天女」
高度経済成長を遂げる前、特に戦前の日本はまだ農本主義社会であり、そこでは女性たちもまた農家に嫁いで男性とともに額に汗して働く生活をすることが一般的でした。
詩人の永瀬清子は、そんな各地で苦労しながら暮らしている女性たちをあえて「天女」と呼んで、彼女たちを勇気づける詩を書きました。1940年に刊行された初期の詩集『諸国の天女』の冒頭から。
諸国の天女は漁夫や猟人を夫として/いつも忘れ得ず想つてゐる、
底なき天を翔けた日を。
人の世のたつきのあはれないとなみ/やすむひまなきあした夕べに
わが忘れぬ喜びを人は知らない。
井の水を汲めばその中に/天の光がしたたつてゐる/花咲けば花の中に/かの日の天の着物がそよぐ。
雨と風とがささやくあこがれ/我が子に唄へばそらんじて/何を意味するとか思ふのだろう。
せめてぬるぬる春の波間に/或る日はかづきつ嘆かへば/涙はからき潮にまじり/空ははるかに金のひかり
※「たつき」=生活を支える手段・方便、※「かづく」=水にもぐる
今週のふたご座もまた、きっと彼女が詩に書いた「天女」のように「もの深く」日々の営みに向きあっていくことになるはずです。
ふたご座の今週のキーワード
人の世のたつきのあはれないとなみ