ふたご座
起きた子を寝かせる
異類から姿を戻す
今週のふたご座は、「しみじみする」という表現のごとし。あるいは、誰も見ていないところでひとり正気に戻っていこうとするような星回り。
「地道に生きる」ことがますますバカにされるような風潮が増している昨今ですが、昔はそうして地道な生き方から外れることを「気がふれる」などと表わしたものでした。
作家の車谷長吉は「因果づく」という随筆のなかでそれを「魔物は普段「寝た子」であって(中略)いったんこれを起こしてしまうと、「変」が出来(しゅったい)するのである」と言い表した上で、次のように述べていました。
下総九十九里浜あたりでは、「はしゃぐ」ことを「じゃばける(蛇化ける)」と言い、「地道に生きる」ことを「しみじみする」と言うのだそうである。ただ、この「しみじみする」は、「あの家(いい)の娘、しみじみしとらんな。」という否定形か、「あんた、も少ししみじみしたらどうか。」というような命令形で使われることが多いのだそうである。併し当然、この言葉づかいの底には、「しみじみする」ことを何よりの価値とする生活観がひそんでいる。「しみじみした」ところでのみ、人は私(ひそ)かな自信を持って生きることが出来るということだろう。「蛇化ける」は、人が蛇に化けるのか、蛇が人に取り憑くのか、いずれにしても異類になることに違いない。
こうした物言いに照らしてみると、昨今流行のように、好きなことをして食べていくことがもてはやされていること自体が「蛇化ける」ことに他ならず、社会全体において必ずどこかで「しみじみする」ことが足りないのではないか、という形で帳尻を合わせる必要が出てくるものなのではないでしょうか。
1月23日にふたご座から数えて「心の奥底」を意味する12番目のおうし座で約5カ月間続いた天王星の逆行が終わって順行に戻っていく今週のあなたもまた、車谷の「「しみじみした」ところでのみ、人は私(ひそ)かな自信を持って生きることが出来るということだろう」という一文を骨身に沁みて感じていくことができるはずです。
面影のあの人
ホフマンスタールに『夢のなかの少女』という詩があります。
いちども/愛したことのないはずの
女のひとが
ときおり/わたしの夢のなかに
少女となって/あらわれてきます夢からさめると/わたしは
少女といっしょに/日暮れどき
遠い道を/どこまでも
歩いていったような気がします
こんな夢を見てしまったら、一日中、夢で見た少女の面影をちらちらと追ってはぼうっとして、ついつい「蛇化けて」しまいそうです。とはいえ、ときおり夢に出てくる決まった人物との関係を、どう受け止めていいのか分からないという感情は多くの人が一度は味わったことのあるはず。
ただ、いつもならすぐに忘れてしまうのに、夢から醒めても相手の姿が離れていかない。それを詩人は「どこまでも(いっしょに)歩いていったような気が」すると表現してみせた訳ですが、実際、そうして歩いていくことでしか、遊離してしまった魂の一部を取り戻す方法はないのです。詩人は、自分でもさんざんしみじみして、相手があくまで「夢の中の少女」であることを思い知ったからこそ、こうしてやっと作品に出来たのでしょう。
今週のふたご座もまた、離れていかない夢を相手に、しみじみしていけるかどうかが問われていきそうです。
ふたご座の今週のキーワード
出来し、遊離した魂の一部を鎮めていくこと