ふたご座
暗い穴に入る
生牡蠣の触感
今週のふたご座は、『牡蠣啜(すす)るするりと舌を嘗(な)めにくる』(坊城俊樹)という句のごとし。あるいは、命のせめぎあいを実感していこうとするような星回り。
単なる食事にとどまらず、そこからはみ出してしまった体験について詠んだ一句。作者は皿にのった生牡蠣を手に取り、啜って食べた。ところが、牡蠣の方でもただなされるがままに食べられるどころか、まるで意志をもっているかのように逆襲してきた。
当たり前のようにただ一方的に食べようとしていた人間にとって、逆に“食べもの”に舌をなめられるという体験は異常事態であり、それくらい新鮮な生牡蠣の触感は不思議なまでの滑らかさだったはず。
そもそもこれは食べものは単に食材である以前に、ひとつの「いのち」であるということをあらためて確認している句とも言えますが、そうすると「するりと」という擬音語がますますいきてくるように思います。そう、私たちが他の生命体にしてやられることがあるとすれば、それは往々にして「するりと」、油断した隙をつかれた瞬間に起こるはず。
23日にふたご座から数えて「死角」を意味する8番目のやぎ座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、どこかで不意を突かれて立場が逆転していくような瞬間を迎えていきやすいでしょう。
いのちの感触
ここで思い出されるのは川端康成の小説『眠れる美女』です。薬で眠らされている若い女に添い寝し、体に触れもせずに一夜を過ごす、そんな老人専用の高級娼館の物語なのですが、初めて訪れた頃は「なに、自分はまだ本番まで致せるぞ」と、内心ムッとしていた主人公・江口も、次第にその悦楽にはまり込んでいきます。
なにもわからなく眠らせられた娘はいのちの時間を停止してはいないまでも喪失して、底のない底に沈められているのではないか。(中略)もう男でなくなった老人に恥ずかしい思いをさせないための、生きたおもちゃにつくられている。いや、おもちゃではなく、そういう老人たちにとっては、いのちそのものなのかも知れない。こんなのが安心して触れられるいのちなのかもしれない。
そう、眠る美少女は、老人にとって「性」へと誘うフェティシズムから、いつのまにか「死」へと誘うフェティシズムへ変わっていく。それはすぐにでも死にたいとか、そういうことではなくて、掲句の「するりと」にも似て、もっと感覚的なところで何かを知ってしまうのです。
今週のふたご座もまた、ふつうに折り目正しく人間らしい日常を送っているだけでは決して気付かなかったであろう欲望を静かに燃やしていくことになるかも知れません。
ふたご座の今週のキーワード
タナトスと呼ぶだけでは綺麗すぎる