ふたご座
<個=孤>をかき乱す
個へ分節される以前の感覚
今週のふたご座は、人間を食べる生きものとの遭遇のごとし。あるいは、知覚をとりまく窮屈な規律や束縛を少しゆるめていこうとするような星回り。
例えば、ライオンやジャガーといった狂暴な牙や爪を持っている猛獣を前にした時、私たちは単に相手を目で追い感覚する一方的な主体であるのでなく、相手の目や鼻からすれば感覚される客体であり、食べられる対象ですらあることを強烈に思い知らされます。
こうした主体と客体の可逆性や、知覚の移行性は、主体と客体が未分化の状態で相互に影響を与えあう「融即」と呼ばれる体験の特徴であり、それは私たちが普段タブレットで動画やSNSを見ている時のような、主体と対象とがきちんと分離された状態での知覚がいかに特殊で不自然なものであるかという事実をまざまざと呼び覚ましてくれます。
経験的に考えれば、人間の言語が共同体の構造によってのみ特徴づけられている訳ではなく、私たちを包みこむ生命ある大地の表現でもあり、したがって人間という有機体の特別の所有物ではないように、知覚というのも本来は五感や個々人に明瞭に分節されてある訳ではなく、複合的な相互依存においてさまざまな感覚が交わり重なりあうようにして経験されているはず。
そして、そうした「融即」に開かれる経験を、私たちは例えば「イキイキとしている」という日本語で表しているのではないでしょうか。
9月23日にふたご座から数えて「再誕」を意味する5番目のてんびん座に太陽が入座する(秋分)今週のあなたもまた、刻々と変化する周りの風景などの非言語的経験に注意を払っていくなかで、別々の感覚にまつわる区別が少しずつ溶け出していく様を実感していくことができるはず。
身体感覚をもう一度<散乱>させていく
たとえば、マンションの隣りの部屋がいつの間にか空き部屋になっていたことに気付いたとして。時間によって差し込む光がどう言う風に変わっていくかとか、空中に舞うほこりの気配とか、ここではどう風が動いているか、どんな匂いがしているだろうかと、なんとなく想像しているときの、なんだかホッとするような感覚。
それでいて、これまでの生活から解放された空っぽの部屋が想像するごとに、妙に艶めかしいものに変わっていくような…。あれは何なのだろうと考えてみるに、習慣化された日常空間にポコッと空白ができることで、どこかでマンネリ化していた生の意味に破れが生じて、そこにいろんな感覚が触手を伸ばしていくうちに、生命力が生き返ってくるということなのかも知れません。
触覚であれ嗅覚であれ聴覚であれ、特定の感覚が生き返って充実していくためには、どうしてもある種の静寂や「間(ま)」が必要となってくるものです。そして、それが真空空間のように、こちらをそっと引き寄せてくれる。もしそういう手招きを経ず、脳が発動させた意志に基づいて勝手にずかずかと押し入っていったならば、大抵それは時期尚早であり、シャットアウトされてしまうことでしょう。ただ、現代人はこうした真空の感覚さえも、なんとなく淋しげであるとか、孤立していると感じてやたらと避けたがります。
その意味で、今週のふたご座にとっては、そうした「真空の感覚」を呼び覚まし、ある種のディスコミュニケーションのなかで身体感覚を解放させていくことが1つのテーマとなっていくのだと言えるでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
意味の破れに向けて