ふたご座
くるりと一回り
知的な愉快犯としての変装家
今週のふたご座は、種村季弘のいう『文学的変装術』のごとし。あるいは、ある種の禁欲的なナンセンスを体現していこうとするような星回り。
有名になったりひと儲けするために、自身の経歴を詐称したり、実際より実力や素顔を盛って見せることは、今や当たり前のことと見なされるようになってきましたが、種村季広は『文学的変装術』というエッセイのなかで、そうしたある意味でご都合主義的な“自己ブランディング”とは区別した特別な「変装」について取りあげています。
例えば、太宰治の未発表短編小説が発見されたと銘打って、まったくのニセモノをでっちあげる。ただし、文体や表現上の癖や年代的にいかにも取りあげそうなモチーフなども精緻につくりこんでおく。そうして、世の本好きや研究者たちを翻弄しつつ、それで何らかの対価を得てやろうなどという卑しいことは一切考えず、あくまでも知的な愉快犯としての立場を貫くこと。
変装家の才能の主たるものは、本来の自分ではないもの、すなわち他者に変身する同化能力であるが、そのためには同時に、本来の自分を消去する断食苦行僧にも似た意志的禁欲が必要とされる。(…)変装は何物かのための手段ではなくなって、それ自体が目的となる。変装術の極意ともいうべきものは、手段であったものが目的となるこの最後の転倒にあるに違いない。
その意味で、7月29日にふたご座から数えて「知的喜び」を意味する3番目のしし座で新月を迎えていく今週のあなたもまた、無意味なまでにストイックに手段の目的化を試みてみるといいでしょう。
異界を作りだす
最近はあらゆることがマーケティング的に語られ、誰も彼もがポジション・トークに徹しているようなディストピアへ、社会全体が一丸となってますます突き進んでいるように感じます。
一方で、そうした流れに反するために文化や教育というものがあるとして、もしそこで魂ということを前提に置くのなら、まず第一に「ここではない異界」を作りだすことを大事にしなければならないのではないか。そんな風に思います。
例えば、夜中に道で不意で出くわすノラ猫は、それは見事に異界を作りだします。社会の大人達からすれば、何でもないような意味の空白地帯である公園の一角に、猫がたたずむ。すると、生ぬるい七月の夜風はもう静まって、猫は柔らかい機械の振動へと変わり、いよいよ空気を震わせて、一瞬の内に月光を冴え冴えとしたブルーに様変わりさせてしまう。
そうした光景を垣間見たときの、「とんでもないものを見てしまった」という驚きこそが、魂をことほぐ最高の贈り物であり、それを感じ取っていくだけの余地や余白を生活や身体に作っていくことこそが、魂に対する敬意の払い方なのではないでしょうか。
まずは今のあなたの中に、新月の闇夜がそっと差し込んでくるだけの余地や余白が十分にあるかどうかから確認してみるといいでしょう。
ふたご座の今週のキーワード
闇のなかを飛び交う青白い蛍、夜の公園にたたずむノラ猫