ふたご座
“自己実現”のはざまで
現実を宙吊りにする
今週のふたご座は、『髪にしたシガーの匂ひ避暑の木々』(藤田哲史)という句のごとし。すなわち、会心の一服をきめていこうとするような星回り。
どこか青春の時代を過ぎた人間特有の“物憂さ”のようなものが感じられる一句。都市部の気温が上昇するヒートアイランド現象で生き地獄と化す夏の都会を離れ、避暑で赴いた先の郊外の木々に囲まれて、気分爽快一色になっていればきれいにおさまるところですが、そうは問屋がおろさないのが現実。
そういう厄介な現実を前にして、拒絶したり逸脱するでもなく、かといって何の疑問も感じず、すんなり腑に落ちている訳でもない。そこでどうしたって残ってしまう、うまく言葉にできないような居心地の悪さや消化不良感と、タバコをふかし煙をくゆらすことでなんとか折り合いをつけていく。あるいは、ひとりではなく同じ悩みを抱える者同士で喫煙タイムを共有したちょっとしたひと時を描いた一句なのだとも解釈できます。
いずれによ、そうした一服は都会ではできなかったはずで、逃避した先で、ないし仲間との邂逅を経てやっと可能になったのかもかも知れません。その掲句の“感じ”は「した」という言葉の使い方にもよく表されています。通常であれば「髪にシガーの匂いがした」と言えばすんなりいくところを、あえて「髪にした」と始めることで、「シガーの匂ひ」にいろいろな思いを込めているのでしょう。
同様に、7月20日にふたご座から数えて「精神的関係」を意味する11番目のおひつじ座で下弦の月(意識の危機)を迎えていく今週のあなたもまた、自分でもうまく言語化できない違和感や引っかかりとどうにか折り合いをつけるべく、ゆっくりと紫煙をくゆらせるようなひと時を設けていきたいところです。
自己完結はもうやめよう
セバスチャン・ブロイは2017年に刊行されたイギリスの批評家マーク・フィッシャーの『資本主義的リアリズム』のあとがきにあたる「諦めの常態化に抗う」という文章の中で、次のように問いかけています。
資本主義は欲望と自己実現の可能性を解放する社会モデルとして賞賛されてきたにもかかわらず、なぜ精神健康の問題は近年もこれほど爆発的に増え続けたのだろう?社会的流動性のための経済的条件が破綻するなか、なぜ、私たちは「なににでもなれる」という自己実現の物語を信じ、ある種の社会的責務として受け入れているのだろう?鬱病や依存症の原因は「自己責任」として個々人に押しつけられるが、それが社会構造と労働条件をめぐる政治問題として扱われないのはなぜだろう?もし資本主義リアリズムの時代において「現実的」とされるものが、実は隙間だらけの構築物に過ぎないのであれば、その隙間の向こうから見えるものは何だろう?
ブロイのこうした問いかけは、あきらかに、私たちがそれぞれに体験している「傷つけられた生」を、単に「個人の物語」として自己完結的に捉えてしまわないように、という忠告を含んでおり、そうした捉え方をしている限り、先の問いの答えはいつまでも明かされないままでしょう。
今週のふたご座もまた、消化のしにくさ、難しさにこそ留まって、きちんと自分なりの言葉にしていくべし。
ふたご座の今週のキーワード
なんとなく感じていた不安感をうやむやにしないこと